遠藤ミチロウの“弱み”
ミチロウさんはミュージシャンとして物凄い輝きを放ち、さらに彼との会話で出た言葉の節々が、その後の私の人生を突き動かしている。そんな私的な理由もあって、今回、彼を代表的日本人に挙げています。
ただ、先ほども触れたように偉人やカリスマの弱みの部分として、私はミチロウさんの音楽活動が紆余曲折し、その輝きが乱反射する過程も目の当たりにしています。
1989年に、大手レコード会社のアルファレコードと契約してから、スターリンの活動には、大きな資本が乗っかりました。すると事務所から、過激な言動や歌詞は控えるようにと厳しい注文が付く。さらに商業化するにつれて、リュックを背負ったオリーブ少女のような、これまで見たことのない、お洒落な女の子のファンに囲まれるようになった。
殺伐とした空気で、メンバー同士が殴り合う初期の興奮状態は失われ、熱心なファンたちが趣味として愛でるファンダムと化してしまったのです。ミチロウさんも、その状況を自覚して、藻掻くように、より過激に、エグいパフォーマンスを見せつける場面もありましたが、ほとんど逆効果で、ファンは喜んで受け入れてしまう。いわば資本の手練手管によって、ミチロウさんの過激なパフォーマンスすらも商品と化してしまったとも言えます。
「ミチロウさん、今のあなたの音楽は、何のメッセージも発していない。『ガンズ・アンド・ローゼズ』(アメリカのロックバンド)のパロディになっていますよ。原点に返ってください!」
と、私は我慢できずにミチロウさんを問い詰めたことがあります。その言葉がミチロウさんにも響いていたようですが、それでも商業化の波からは抜け出すことができなかった。
最後は4年前にすい臓がんで亡くなりましたが、晩年は地元の福島県で原発事故の被災者支援のため「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げ、作曲家の大友良英さんや詩人の和合亮一さんらと一緒にフェスティバルを開催していました。
私の中では最初の数年間の滅茶苦茶な時代が輝いているので、メジャー化して以降のミチロウさんは、キャリアのほとんどを下火で過ごした印象です。ただ、私自身の強烈な憧れと残念な気持ち、ミチロウさんが抱えた葛藤、そして、がんで死を遂げた最期も含めて、その全体像が深く心に刻まれています。
※本記事の全文(約7500字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(モーリー・ロバートソン「不完全なカリスマたち」)。全文では下記の内容をご覧いただけます。
・無謬な偉人は成り立たない
・遠藤ミチロウの過激な言動
・政治的発言をしない矢沢永吉
・手塚治虫の強烈な嫉妬心
・空海もそこそこ苦労した
・奔放に戒律を破る一休
