人生の3つのターニングポイントは?
――4歳から始まったフィギュアスケート人生で、ターニングポイントを3つ上げるとしたらどこを切り取りますか?
宮原 迷いますが……。まずは小学校3年の時に初めて出場した国際大会ですね。色んな国の選手と一緒にスケートすることが楽しくて、楽しくて。それで大人になったら絶対、海外で活躍できる選手になりたいって思いました。
2つ目はシニアデビューした2013年の全日本選手権でしょうか。私は4位になったんですけど、本当にボロボロだったんですよ(笑)。浅田真央さんや鈴木明子さんらの滑りを間近で見て、シニアのすごさに圧倒されました。先輩たちのように強くなりたいと思ったし、中途半端な気持ちでは氷上に立てないと覚悟した大会でもありました。
――3つ目は引退ですか?
宮原 いえ、その前に単身でカナダにスケート留学したことですね。平昌五輪後の2019年に、もっと自分を磨こうとリー・バーケルコーチに指導を仰ぐことにしました。トロント郊外に住んで練習に励んでいたのですが、半年後にコロナが世界中に流行。カナダでも外出禁止令が出されてしまったんです。それで一人で部屋に閉じこもっていた時期でもあります。
――異国の地で一人は辛くなかったですか。
宮原 それが、全く問題ありませんでした。私はもともと一人が好きだし、コーチやカナダの友人たちとは連絡を取り合っていましたから。それよりも、こういう状況でじたばたしてもしょうがないから、楽しんだ方がいいよね、と思っていました。一度も日本に帰りたいとは思わなかったですね。
――肝が据わっていますね!
宮原 コロナによってたくさんの人が亡くなって、世界中が不安に陥っている大変な時に、スケートのことで悩むのはちっぽけなのかな、と感じたんです。自分を見つめ直した期間でしたね。結局、カナダには2年半、一人で滞在していました。
「辞めようかな」と言ったら「じゃあ、辞めれば」って言われて…
――2022年3月には引退。カナダで心技共にブラッシュアップした直後だったと思いますが、すんなり決めたんですか?
宮原 そうでもなかったです。実はストックホルムで行われた2021年の世界選手権がめちゃくちゃだったんです。ショートでもフリーでも転んじゃうし、ジャンプも回転不足を取られて、生涯で最悪の出来と言えるかもしれません。
すっかり自信を無くしてリーコーチに「辞めようかな」と言ったら「じゃあ、辞めれば」って。その時に「えっ」と思ったんですね。自分の中で「えっ」と咄嗟に思ったということは、本当の自分はまだやりたいんだな、と気づいて。北京五輪を目指すことにしたんです。

