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妻を守るために小泉八雲がとった“行動”
セツは八雲と暮らすようになり、「洋妾」と後ろ指をさされたそうです。それが本当につらかった、とセツは後年、明かしています。西洋人の妾になると、日本人の妾以上に偏見を持たれたそうです。
幼い頃に母親と生き別れた八雲ですが、若い頃には離婚の苦い経験もあり、40歳にしてようやく得た伴侶です。家庭を築いてゆくことが何よりでした。自らのことはともかく、セツが心ない視線にさらされるのは耐えがたかったのです。
肩身の狭い思いをしている妻への目配りは利いていました。松江を去ってからのことになりますが、自らの家に寄宿させ、面倒を見ていた少年が洋妾の唄を歌ったのを聞きとがめ、実家に送り返した、という話も伝わっています。
セツからすれば、故郷は愛憎相半ばするところだったでしょう。多感な少女時代に、育った家が零落して進学もできず、住んでいた家からも追われ、働きに働かざるを得なかったわけですから。
セツは古くからの思考が生きる城下町の松江より、後に長く住んだ東京の方が落ち着いて暮らせました。首都の無名性の中で、のびのびできた人です。もちろん、郷愁の念は抱きつづけていたと思いますが。
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