理性で管理する道でも、暴力に訴える道でもない。第三の道を採れ

 以上で見たような、人文的教養とナード的趣味が満載の終末論に、ジャーナリストやライターたちは当惑しつつも、現実の政治におけるティールの行動を理解するためのヒントを探ってきた。

 終末の接近と人類の採るべき方策に関するティールの基本的な考えは、約20年前の「ストローシアン・モーメント(シュトラウス的瞬間)」(2007年)という論考にすでに表れている。この論考は9.11同時多発テロをふまえ、2004年にティールが開催したシンポジウムで彼が発表した内容だ。前年2003年に、テロリストの監視を目的に、ビッグデータ分析会社パランティアを設立していることからもわかるように、同時多発テロで感じた西欧近代社会の危機は、ティールの活動を強く動機づけている。

 先述のように、ティールの議論は、二つの対立する道を示した上で、そのどちらでもない狭き「第三の道を採れ」と促す形式が多い。それはティールの実際のポジショニングと重なる。リベラルなシリコンバレーにあってリバタリアン、共和党支持のティールは、左派ではなく、同時に東海岸のWASP(ワスプ)や盲目的なMAGA(マガ)のような右派でもない。あくまでも第三の道としての「新たな右派」という自己認識をしているように見える。

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 同様の第三の道という考えは、暴力がテーマの「ストローシアン・モーメント」でも顕著だ。暴力を理性で完全に管理できると主張する啓蒙主義(=第一の道)を欺瞞として退け、破壊的な暴力(=第二の道)も望ましくないものとして退ける。その上で、第三の道として「暴力は不可避だという真理を慎重に扱いながら統治の可能性を模索するエリート」が示されている。この第三の道もまた、ティールたちテック右派の自己認識なのだろう。

ティールはトランプに「カテコーン(抑止するもの)」を見出しているのか?

 第三の可能性は、近年の終末論に関するインタビューのなかで「カテコーン(抑止するもの)」と言い換えられている。「カテコーン(抑止するもの)」とは、新約聖書の「テサロニケの信徒への第二の手紙」(2:6-7)に由来し、ティールが思想的に依拠するルネ・ジラールやカール・シュミットが深めた興味深い概念だ。

ピーター・ティールが思想的に依拠するルネ・ジラール Vicq, Public domain, via Wikimedia Commons

 シュミットの考える「カテコーン」とは、終末が近い時期に、最後までの時間を引き延ばすために、混沌のなかで秩序を維持する強権的存在だとされている。彼は同時代の「カテコーン」をヒトラーに見出したが、後にそれが過ちであったことを認めた。

 このことからティールがトランプに「カテコーン」を見出しているのではないかと危惧する者もいる。あるいはダウサットのように、パランティアのような企業を経営するティールこそ、現代の「反キリスト」に世界支配のための道具を提供しているのではないかと問う者もいれば、端的にティールこそ「反キリスト」だという批判もSNS上には山積している。