森下 私はけっこうロマン派なんですよ。1991年の全日本プロ将棋トーナメント決勝で、羽生さん(善治九段)と五番勝負を戦ったんです。矢倉戦で私が2勝1敗になった後に、4戦目、5戦目に羽生さんがひねり飛車を指してきました。それに連敗してしまって、後から米長先生(邦雄永世棋聖・故)に「ひねり飛車への対策を考えていなかったのか」と言われたんです。私は「羽生さんは当然矢倉でくると思っていたので考えていませんでした」と話すと、米長先生は少し考えてから「君は勝つことよりも名誉を重んじている。羽生は名誉よりも勝つことを重んじた。それが勝敗の差になった」と言われました。当時は私だけじゃなく、そういう人が多かったんですよ。

 1992年の名人戦で中原先生(誠十六世名人)が挑戦者の高橋道雄九段に1勝3敗と追い込まれた後に、横歩取りや相がかりを連投して3連勝で逆転防衛したんです。ただ多くの人は矢倉でないから王道の勝ち方と認めてくれないんですよ。大先輩に対して大変失礼なのですけど、当時25歳の私も「矢倉では勝てないから他の戦法を用いたんだな」と思ってしまったわけです。

増田 なるほど。そういう考え方はわからなくはないです。勝利よりも、王道と見られる考え方が優先される時代だったかもしれないですね。

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森下 私は優先していましたけどね。

増田 考え方は変わってきますよね。ロマンを追い求めていたら、やっぱり勝てないというか。

森下 今はそうだよね。

増田 余裕がなくなってしまったんです。僕がデビューした頃は上位で戦える棋士は30人くらいだったのが、今は80~90人くらいになっています。AIと藤井さんの影響でしょう。一人圧倒的な人が出ると周りのレベルも上がるのは、みんな悔しい思いをしたくないからです。レベルが全体的に上がったので、気分転換に違う戦法を試したりしたら、すぐボコボコにされてしまいます。

序盤研究の変化

森下 私が奨励会時代から目にしてきた3人の天才は広瀬(章人)君、康宏君、佐々木勇気君だけど、勇気君は定跡を知らないし、研究会では歌ったりしながら指していて、なんで勝てるんだろうと不思議でした。

増田 勇気さんは、今は定跡の勉強をすごくされていますよ。当時の定跡なんて現在では何も使えないじゃないですか。だから何でもよかったんです。勇気さんは僕と同じで意味がないことをやりたくない、削ぎ落としてしまうタイプだと思うんです。そこを先生が見られると、「あれ?」って感じるのかもしれませんけど。