映画監督になろうと思ったのはもうすぐ30歳になる頃だった。
当時、障害のある子どもたちが通う施設で働いており、放課後デイの部署にいた。高校3年生の利用者に物語を書く子がいて。その子らといつも衝動的に思いついたことを形にする時間が僕にとっての楽しみだった。
ホームビデオ2台で撮った“デビュー作”
ある日、施設長がその子の物語を「映画にしてみたら」と軽く言ったのをきっかけに、その子らと自主映画を撮ることになった。ちょうどその頃の僕は働いて得たお金のほとんどをミニシアターに捧げ、月に20本ほど映画を観ていた。知識はなかったが熱量だけはあった。
ホームビデオ2台で撮った拙いアクション映画だったが、せっかくだから上映会を開こうと決め、手作りのチケットをつくり、彼らの学校の先生にも配った。会議室で自分たちの映画が浮かび上がる光景、僕はいまだに忘れられない。
舞台挨拶で自分たちの作品を語る子どもたちの姿は少し緊張していた。
あの子たち以上に誰かに自分の作ったものを観てもらう“あのドキドキ”に魅せられたのは、僕のほうだったのだと思う。
その体験が背中を押し仕事を辞めて上京する決意を固めた。きっと心のどこかでやりたかったことがあったのにそれを誤魔化すことに限界がきたのだなと思った。
しかしながら上京後は映画監督になると言うのが恥ずかしく、まずは俳優オーディションを受け、演技を自分の身体で知ることから始めた。
