「僕はいつも現場で怒られてばかりだった」
現場の助監督だけではなく、常に彼と一緒に脚本会議にも参加した。初期の彼はよく脚本家のシトー・カムイェンと組んで映画を作っていた。議論の中で、ソイ・チェンはいつも脚本の一番重要なポイントを見つけ出し、シトー・カムイェンと演出プランを詰めていく。その過程をそばで見ながら、脚本のアイデアがいかに現場で演出されていくのかを目撃し、とても勉強になった。
次に付いた監督はツイ・ハークだった。彼は現場では誰よりも頭の回転が速く、付いていくのは大変だった。僕はいつも現場で怒られてばかりだった(笑)。今になってやっと、怒られた理由が分かったような気がする。当時の僕は脚本をちゃんと読み込んでおらず、監督が何をやりたいのか、「監督の頭脳」になって考えていなかったのだと思う。
ついに監督デビュー作に挑戦
『ワイルド・シティ』(15年)という映画で、大好きなリンゴ・ラム監督に付くことができた。半年くらい彼と一緒に俳優に会ったり、ロケハンしたりしていた。彼は僕にとても優しかった。脚本をどうやって演出に落とし込むか、ワンシーンずつ教えてくれた。しかし、実際に現場が始まる頃、僕は自分の監督デビュー作『狂獣 欲望の海域』(17年)を撮るチャンスを得て、残念ながら彼の撮影に最後まで参加することができなかった。
『狂獣 欲望の海域』の準備と撮影も大変だった。現場経験は豊かだったが、脚本よりも映像とアクションを優先してしまった。興行成績もうまくいかなかったので、少し落ち込んだ。一旦、助監督の仕事に戻ると決め、リンゴ・ラムの遺作『道に迷う』(オムニバス映画『七人樂隊』〔20年〕の一編)に参加した。今度はやっと、彼の現場を最後まで体験することができた。彼がカメラをどこに置くべきか、俳優をどう演出すべきか、キャラクターをどのように映像で表現すべきか、隣に立つ僕にすべてを親切に教えてくれた。
彼が亡くなってから、ジョニー・トー監督と仕事をするチャンスに恵まれた。彼がプロデュースする配信ドラマ『三命』の監督を任された。ジョニー・トーからは、本当に目から鱗が落ちるようなことをたくさん学んだ。映画の一番核心的な部分は、実は「世界観と思想」だと教えられた。いつも演出の勉強に役立つ、さまざまな映画を勧めてくれて、「観たら感想を交換しようね」と言う。お互いに感想をシェアすることを大事にしていた彼は、先生であると同時に友達でもあった。
ジョナサン・リー 1979年、香港生まれ。2002年『男人四十』で製作助手を務め、その後は助監督として様々な作品に関わる。2017年『狂獣 欲望の海域』で監督デビュー。2024年『第八の容疑者』で第30回香港映画評論家協会賞最優秀監督賞を受賞した。
リム・カーワイ 映画監督。マレーシア出身、大阪に拠点を置く。幻のデビュー作『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』デジタル・リマスター版が上映中。