また『全国花街めぐり』(松川二郎著/誠文堂)では、港の女のなかには、小舟に乗って沖へ出かけ、そこに停泊している船へ移って春をひさぐところの一種がある、とされている。

〈鳥羽はよいとこ 朝日をうけて 七ツ下れば 女郎が出る〉

 そう唄われた鳥羽名物「はしりがね」は、主に船頭衆を客とする公娼であった。江戸時代、江戸と大坂を結ぶ航路上にこの島は位置していたことで、樽廻船や菱垣廻船といった商人の船から、肥料船、イワシを追いかけたアグリ船など小舟まで大小さまざまな船が入港し、この入り江を埋め尽くしたという。そして海が時化ると、船員たちは宿に泊まったり、島の女郎たちにしばしの安息を求めたりしたのである。

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売春島(写真:筆者提供)

 同書でははしりがねを、漢字で「把針金」と記していた。その字面から想像できるように、売春の他に船の帆や船員の衣服などを縫う仕事もした。

秘密裏に続いていた売春

 明治以降は把針金が禁じられたほか、汽船も登場し、風待ちの必要がなくなる。すると船の出入りが徐々に減り、把針金も姿を消していく。1940年ごろにはその姿を見なくなったという。

 だが、把針金は遊廓へと形を変える。以降も終戦後の1958年の売春防止法完全施行まで女郎の文化は続いた。この女郎文化は、売春防止法の完全施行までは公的に認められた売春、つまり公娼であった。売春防止法が制定され、管理売春が罪となり女郎文化も建前上は消えることになる。

 しかし赤線、青線と呼ばれる売春地帯がいまだに形を変えて続いているように、この島も、そうして秘密裏に売春が続いていたのである。