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1980年代に入ると、パチンコ店が出現するなど飲み屋とギャンブル場が混在する繁華街の様相になる。以降、1990年代にかけて置屋が乱立し、文字通り「売春島」の様相を呈した。ホテルなど商業施設はスクラップ&ビルドを繰り返していた。
そして2000年代に突入すると、わたかの島パールビーチが整備されるなど売春島からの脱却が進められ、それに反比例するかのごとく現在に近づくにつれホテルや売春宿が廃業していくのである。
古い文献には…
地図から見られない変遷は、過去の報道資料や関連書籍で補った。
まず古書店で見つけたのは、1949年に出版された中田政吉著の『志摩鳥羽の茶話』(中田郷土研究所)なる、渡鹿野島の歴史が記された古い文献だった。
この島は「風待ち港」で、帆船で物資を運搬していたその時代、物資の調達や船員の休息のため、船は売春島に停泊し、目的地に向けて進むのにほどよい風が来るのを待っていた。
本書には、こんな記述もあった。
〈名物は鳥羽の港に日和山 宿かりもする走りがねあり〉
走りがねとは、江戸時代から明治30年代(1897~1906年)ごろまで鳥羽で名物であった、船人相手の女郎のことである。女郎とは、遊女とも呼ばれる、遊廓で男性に性的サービスをする女性のこと。嚙み砕けば売春婦だ。