売春島が廃れた理由
その後、脈々と受け継がれてきた売春史と並行して売春を浄化する動きが出はじめる。把針金から裏稼業として続いたこの島の売春産業は、その是非は別として、臭いものにフタをするかのごとく隠蔽され、そして衰退していく。
1989年の中日新聞によれば、自然を利用して開発する国際リゾート「三重サンベルトゾーン」構想で渡鹿野島が重点整備地区に入り、島の活性化のため海水浴場をつくったり、旅館組合が中心となって家族連れや婦人層の誘客イベントを展開したりするなどして、〈これまでの“歓楽”のイメージを打破し、クリーン観光地づくりと取り組む〉との記述があった。パールビーチが発端だと思っていた浄化の動きは、すでにこのころから芽を出していたことになる。
2013年の流通新聞では、三重県が「離島振興計画」を策定し、住民たちの生活基盤の整備はもちろん、水産業と観光の連携による地域産業の活性化を図るとされている。
これに付帯する動きとして2012年、大学生の感性や意欲を、観光振興や街づくりに生かそうとする試みがあった。学生20人が渡鹿野島を訪れて島の現状を調べ、地域住民と意見交換をしたという(中部読売新聞)。2013年、鳥羽署により交番や駐在所がない渡鹿野島に署員が防犯などの講話に出向く「移動交番」事業もはじまった(中日新聞)。
2015年には、風光明媚なこの島を広く知らせるため、島の形にちなんだ「ハートウォークラリー」をはじめる。島に点在する八重垣神社や渡鹿野公園、パールビーチなど五か所を巡るイベントだ。