私も「やってられない!」
実のところ「やってられない」のは私も同じでした。
久米さんの所属事務所であるオフィス・トゥー・ワン(以下、OTO)という外部の制作会社をテレビ朝日の報道番組に迎え入れ、共同で作る前代未聞のニュース番組の構想が始動したのは、1985年のはじめのこと。久米さんをキャスターに据えたこのパッケージはOTOからの持ち込み企画で、はじめから広告代理店の電通も巻き込んだ座組になっていました。というのも、当時の22時という時間はドラマなど、エンターテイメント番組が中心の激戦区で、そこで視聴率の読めないニュース番組を放送しても、スポンサーがつくのか不透明な状況だったからです。電通が放送枠の広告を買い切る形でスタートしたのも、例のない船出でした。
目指したのは、新しいニュース番組。それまでの王道はNHKの「ニュースセンター9時」に代表される、よく言えば謹厳実直できっちりした、悪く言えば官報的で情報発信が一方通行のスタイルでした。そこで、もっと視聴者目線で、中学生でもわかるような親しみやすい番組を目指し、セットからこだわりました。寛ぎのある堅苦しくない雰囲気を出そうと、奥行きを持たせた2階建てのセットを造り、お茶を飲む場所まで設けました。当然、スタジオの準備だけで億単位の費用がかかり、OTOの人件費まで乗ってくる。
それでも、上層部がこの大勝負をしたのは、教育番組専門局として1959年に始まったテレビ朝日が、20年以上、日本テレビ(1953年開局)やTBS(1955年開局)の後塵を拝した万年四番手だったから。フロントランナーたちと同じ番組を作っても勝ち目はないと判断したのです。
現場としてはたまりませんでした。番組は決まったものの、テレビ朝日とOTOでは制作方法や経験も違う。どう進めていけばいいか暗中模索が続き、プレッシャーばかりがのしかかってくる。
※本記事の全文(約7000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(早河洋「『やってられない!』久米宏が吠えた日」)。全文では、以下の内容をお読みいただけます。
・転機は「靴を並べましょう」
・ダイオキシン報道の痛恨
・最終回、久米さんの内心は?
出典元
【文藝春秋 目次】芥川賞発表 受賞作二作全文掲載 鳥山まこと「時の家」 畠山丑雄「叫び」/忖度なき提言 高市首相の経済政策/緊急座談会 暴君トランプの新帝国主義
2026年3月号
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