「社会はそんなに甘くない」――暴力団を離脱し、まっとうに生きようと決めた男を待っていたのは、想像以上に冷たい現実だった。就職は直前で白紙、口座も作れない。

 “更生”を選んだはずの元ヤクザが味わった「世間の厳しさ」を、ノンフィクション作家で社会学者の廣末登氏の新刊『ヤクザが消えた裏社会』(筑摩書房)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む

写真はイメージ ©getty

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 2019年11月19日、元暴5年条項という鉄壁に、小さな突破口が開きました。

 全国放送されたNHKの「ノーナレ」という番組に登場し、拙著『ヤクザの幹部をやめて、うどん店はじめました。』(2018)の主人公でもある元暴のNさんに、離脱後5年を待たずに口座が開設されたのです(Nさんは日本で唯一の特定危険指定暴力団・工藤會の元幹部で、その筋ではとても名前が知られた人でした)。

ヤクザの幹部をやめて、うどん店はじめました。 ©廣末登/新潮社

 既に拙著を読まれた方には申し訳ありませんが、このNさんにつき、少しご紹介しましょう。

工藤會の元幹部

 Nさんは1966年、福岡市に生まれ、北九州市の小倉で育ちました。当時の小倉といえば、現在とは大違いで、暴力団の街、修羅の街とよばれて恐れられたものです。Nさんと暴力団とのかかわりは、20代はじめに小倉の繁華街で水商売をしていたときに生まれました。

 やがて組事務所の電話番などを経て、組員となります。彼は物腰が柔らかく、オラオラ系の組員でもなかったことから、組織内でも重用され、工藤會の溝下秀男会長(就任1990~2000年、その後、総裁)の運転手兼側近に抜擢されました。溝下会長時代は、基本的には「カタギには手を出さない」工藤會でした。

 当時の工藤會の主なシノギは、建設業関係利権(建築会社より大型工事利益の1~5%を上納させる)だったといわれています。

 加えて、覚醒剤の密売、商店の債権回収、旦那衆(商店主)を招いての賭博開帳、ヤミ金、飲食店へのミカジメ要求など、地域密着型のシノギを主として行っていました。

 そして、言うことを聞かない相手には、威圧的な脅し、「お礼参り」を躊躇しない傾向は、暴力を伴ってエスカレートしてゆきました。