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夏目漱石も猛暑の前では無力だった……

 文豪たちの日記に記録される気温で、私が見た限り最も高かったのが華氏九十八度(約36.7℃)。そのうちの一人、広津和郎の「戦時日記」には1944(昭和19)年7月18日の項に「暑さ益々きびしく、寒暖計を見ると、華氏九十八度。東京でこんな温度に達した事が嘗てない事を思えば、或は寒暖計が狂っているのではないかと思う。併し昨夜焚いた風呂の湯冷えず、そのまま今夜は入浴出来る。いずれにしても驚くべき暑さである。」(『広津和郎全集 第十三巻』中央公論社)と記されている。広津家の寒暖計が狂っていたかどうかは不明だが、一日置いた風呂がまだ熱いというのは現在の猛暑にも匹敵する暑さではないだろうか。

 そんな猛暑の中、文豪たちは執筆活動に勤しんでいたのだろうか。夏目漱石も日記にしばしば夏の暑さについて記している一人だが、1911(明治44)年7月11日には「かんかん照り付ける。殆んど堪へがたい。籐椅子の上でこんこんとしてゐる。」(『定本 漱石全集 第二十巻』岩波書店)と書いている。漱石はこの時期胃潰瘍を患っていて体調がすぐれなかったという事情もあろうが、猛暑の前に今も昔も人は無力であることを思い知らされる。

©オギリマサホ

永井荷風による「暑さハンパない」的記述

 もう一人、永井荷風の日記『断腸亭日乗』を見てみよう(以下、荷風の日記は全て『荷風全集 第二十一巻~二十六巻』岩波書店 から引用)。例えば東京で50日を超える真夏日(日最高気温30℃以上)を記録した1922(大正11)年の日記。5月頃から「溽暑」(蒸し暑いこと)という言葉が散見されるようになるが、7月後半になると

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「七月廿三日。炎暑甚し。」

 と、たった1行で終わる日が続出する。今だったら「燃えるように暑い! ハンパない!」と1行ツイートするようなものだろうか。「曇りて風涼し」という8月9日の日記には、墓参に出かけたことなどが7行にわたり記されている。一方で猛暑の日は明らかに記述がスカスカなのだ。この年はその後も「八月十六日。残暑甚しく机に凭りがたし。」(残暑がハンパなくて机に向かう気もしない!)「八月廿一日。夜有楽座に徃きしが炎蒸久しく坐するに堪えず。」(夜劇場に行ったけど、暑いし蒸すし、じっと座ってられない!)と続く。仕事もできなければ観劇もできない耐えきれない暑さ。日記を書くことも億劫になる暑さ。猛暑の現在、我々はこの記述に同情を禁じ得ない。

©オギリマサホ