半裸でいちゃつきあう娼妓たち
かつての私娼街・玉の井を舞台にした荷風の代表作『濹東綺譚』が刊行された1937(昭和12)年もまた、東京の真夏日が50日を超す暑い夏であった。荷風の7月の日記には
「七月初七。…炎暑甚しき夜なれば、三階の窓より見おろす近鄰の娼楼、皆戸障子を明放ちたり…」
「七月十三日。…風なく蒸暑ければ嫖客娼妓いづこの家にても表二階の欄干に凭れ、流しのヴヰオロン弾きを呼留むるあり、或は半ば裸体になりて相戯るるもあり…」
とある。蒸し暑いので娼館はみんな戸も障子も開けっ放し、娼妓も客も表から見えるところで半裸でいちゃつきあっている…と随分オープンだ。しかし相戯れていたら余計暑いのでは…と心配になるが、熱帯夜のけだるい吉原の情景が目に浮かぶようである。
しかし盛況は影を潜め……
ところが戦時色が一層濃厚になる1940(昭和15)年ともなると、
「八月念一(21日:筆者注)。…例年なれば今宵の如き溽暑の折にはひやかしの雑沓すること甚しきが常なるに、今年七月頃より其筋の取締きびしく殊に昨今連夜の如く臨検あるが為、路地の中寂寞人影少し。」
と、従来であれば蒸し暑い時にはひやかし客が多いのに、取り締まりが厳しくなったので路地に人がいない、と荷風は嘆く。往時の玉の井の盛況はめっきり影を潜めてしまっている様子がうかがえる。暑い夜を色街で紛らわそうとした人々はどこに行ってしまったのか。荷風の筆致からもその無念さが手に取るようにわかる。
荷風がしそうな怒りのツイート
更にこの年、猛暑の中で荷風はある光景を目撃し、日記にしたためている。
「八月七日。…馬場先門の辺女学生の一群炎天の下に砂礫を運ぶを見る。秦の始皇阿房宮築造のむかしも思ひなされて恐しきかぎりなり」
炎天下に女学生が砂や小石を運ばされている。秦の始皇帝がとんでもない広さの阿房宮を建てるのに囚人を使った昔を連想して恐怖すら覚える、と荷風は書く。もし荷風が現代に生きていたら、「部活動で炎天下を走らされる中学生」とか「冷房のない体育館で長時間の終業式」などのニュースに怒りのツイートでもしていたに違いない。
ここから言えることとしては、「暑さに耐えること」=「美徳」と捉える向きは昔からあるし、根性論者はそれを支持するけれども、そこを混同してはいけないということだ。荷風もそれを「戦国の美風」として批判した。暑い時には休むべきだ。昔の人だってそうしている。
そして最後に提案がある。この夏の猛暑を後世に伝えるために、ぜひ気温込みで日記をつけてみてはどうだろうか。気象庁の発表によれば、100年後の日本の年平均気温は2~3℃上昇するそうである。となると子孫が100年後に私の日記を見直した時、「暑い暑いと言ってるけれども、昔はこんなに涼しかったのか」と思うのだろうか。そう思うと背すじがちょっぴり凍り付く。