――日本に戻ってきたらまたカルチャーショックを受けることが多かったのではないでしょうか。
アメリカでは、とにかく英語を話せるようになりたくてあえて日本語を使ってなかったし、中三までの漢字しか習ってないから、読めない漢字もたくさんあって。お店に「商い中」って書かれているのを見て「つぐない中って何? どういう意味?」って混乱したこともありました。
だから、新聞をとって、新聞に出てきたわからない言葉をノートに書き写して辞書をひくのを、帰国してから2、3年間やっていました。日本語が完璧に喋れるようにならないと、日本語の歌詞なんて書けないじゃない。必死でしたよ。勉強しすぎてレコード会社の人に「歌詞が難しすぎる」って注意されたこともありました(笑)。
――日本に帰国してからも3年ほど、下積み期間があったと聞いています。
暗闇の中を手探りで歩いているような毎日でした。「年をとりすぎている」とか、「ハーフは売れない」って散々言われていたからとにかく必死で。成功すること、評価されることがそのまま自分の価値に直結すると思ってしまっていたので、売れないとダメだって感覚だったんだと思います。
デビュー前、レコード会社から毎週新曲を1曲作ることを課せられたのですが、毎週4曲作って、結局500曲作りました。デビューしてからも、事務所に力があるわけでも、優遇されていたわけでもないから、全国津々浦々のCDショップに行って、インストアライブして手売りして。
「視力は良かったけど…」メガネスタイルに至るまで
――メジャーデビュー後にそこまでするケース、あまり聞いたことないです。
でも私、ライブを観てくれたお客さんが50人いたら、50人全員にCD売ってたんですよ。最終的には手売りだけで2万枚も売れて、まわりのスタッフからは「手売りの女王」って呼ばれてました。
――2万枚! 「手売りの女王」になるために何か秘訣があったのでしょうか?
