『笑っていいとも!』の素人参加コーナーで一世を風靡し、『ものまね王座決定戦』でハイテンションなものまねを披露して人気を確固たるものにした伝説の女性お笑い芸人・しのざき美知(57歳、現在は「しのざき見兆」)。

 タモリから「埼玉のオオサンショウウオ」「珍獣」と呼ばれながらも愛され、25歳で結婚・引退するまで芸能界で活躍した彼女が、溺愛された幼少期からテレビ出演の裏側まで赤裸々に語った。

 しのざき美知さん。現在は「しのざき見兆」として活動している ©橋本篤/文藝春秋

両親から「桜のようにかわいい」と溺愛された幼少期

 しのざきは浦和の音楽一家に生まれ育った。実家はピアノ教室、電子オルガン教室、民謡教室、三味線教室、生け花教室を営む地元の名門で、父親は「篠崎電気」という電気工事会社も経営していた。

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「私、実は両親からすごく溺愛されてきて。母からは『桜のようにかわいい子ね』って、父からは『いい女だな』って言われ続けながら、育ってしまったんですね」

 勉強も運動もできなかったが、両親からの愛情は惜しみなく注がれた。「学校ではまったく勉強ができず、通信簿も酷いもんなんですけど、『ああー、もう桜のようにかわいいわね』と親からメチャメチャ褒められる教育をされていたから、自分を卑下することもなく」と振り返る。

 この溺愛が、後の彼女の人生観を決定づけることになる。「母にすごく褒められて育ったことで、誰かを応援したり、支えたりすることが根っから好きなんですね」。幼稚園時代には、回転ジャングルジムで遊ぶ友達を回してあげることに喜びを見出していたという。

幼少期のしのざきさん(写真=本人提供)

『笑っていいとも!』出演の経緯「友達が出たがっているから出たんですよ」

 小学校では学年のイベントの度に「しのざき、ちょっとやってよ」と声をかけられる人気者だった。キャンプファイアーでは原始人の衣装を手作りして『はじめ人間ギャートルズ』風のダンスを披露し、埼玉会館のピアノ発表会では小学生にして「関白宣言」の弾き語りを披露していた。

『笑っていいとも!』への出演も、実は友人のためだった。「私が出たいんじゃなくて、友達が出たがっているから出たんですよ」。中学2年生の時、友人に頼まれて一緒にオーディションを受けたところ、一発で合格してしまったのが芸能界入りのきっかけだった。

 番組では野々村真への儚い恋心も抱いていた。「大好きなんですよ。だから、オーディションに行くたびに『会えるかな』ってドキドキしてました」。視聴者からも「しのざきのはかない恋に『ガンバレ』と思ってくれたんでしょうね」と応援されていたが、野々村は「私をメチャメチャ警戒してましたけど(笑)」と苦笑いで振り返る。

 タモリからは「埼玉のオオサンショウウオ」「珍獣」と呼ばれたが、「『肌キレイだな~』なんて、ものすごく褒めてくれてたんですよ。『生地はいいけど、仕立ての悪い服』とも言われていましたけど(笑)。だけど、それって全然ありがたいことでしたね」と感謝している。

『いいとも!』出演をきっかけに、お茶の間の人気者に(写真=本人提供)

「私が日本で一番のブスになったら…」容姿いじりへの思い

 容姿をいじられることについては、独特の哲学を持っていた。「私は容姿をいじられると『そんなことを言うのは、きっと機嫌が悪かったからなんだろう』って考えるんです」。

 そして中学校の運動会での出来事が、彼女の人生を決定づけた。いつも徒競走で1番を取る友人から「お母さんが『しのざきがいるから大丈夫だよ』だって」と言われ、『八つ墓村』スタイルで応援して友人を勝利に導いた体験から「全国のブスの代表になろう」と決意したのだ。

「誰かに『ブス』って言われて傷ついている女性の姿を見るのが、私はとってもイヤなんです」「私が日本で一番のブスになったら、そういうことを言われてる人たちも『しのざきがいるから私は大丈夫だ』と思ってくれたら嬉しいなって」

 その結果、『ものまね王座決定戦』では視聴率32%を叩き出す一方で、プロデューサーからは「おまえさあ、出ている時の視聴率も一番なんだけど、苦情の電話の多さも一番なんだよ!」と褒められながら怒られる存在になった。それでも彼女は、誰かの笑顔のために走り続けたのである。

〈つづく〉

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