尾畠春夫さんの活躍で注目を集めた「社会に貢献するオジサン」
最後のSとなる「社会貢献」。山口県周防大島町で行方不明になっていた2歳男児を発見した御年78歳のスーパーボランティア、尾畠春夫さんの活躍で、すっかり、注目を集めるようになった「社会に貢献するオジサン」。日本人のボランティア意識は海外の国に比べて極めて低いが、特に男性の関心は薄く、自治体などが主導する福祉の現場でも、ボランティアとして参加する人は女性の方が圧倒的に多い。
イギリスでは、高齢者向けの孤独対策が一気呵成に進められているが、その担い手の多くは、老若男女のボランティアだ。自宅を開放して、孤独な高齢者をティーパーティーに招く人、自宅からピックアップして、車に乗せてそこまで連れていく人、高齢者からのホットラインの電話を受ける人、近隣の孤独な男性たちを集めて、一緒にDIYを楽しむ「男の小屋」を運営する人など、初老の男性もボランティアとして、支える側に回る。「孤独」という問題を核に、市民が支えあい、寄り添いあう仕組みが整備されつつある。
ボランティアに名誉や肩書、見返りを求める人も
日本人男性は「ボランティア」という言葉が嫌いという説がある。福祉的な色合いの取り組みに対するアレルギーが強い、と福祉関係者はため息をつく。だから、ボランティアという言葉を使わず、「○○コーディネーター」「××リーダー」などといった名称になると参加率が上がるのだそうだ。ここでもどうやら「肩書」にこだわる癖は抜けないらしい。ボランティアに名誉や肩書、見返りを求めない尾畠さんの生き方が称賛を集めるのはこうした潔さに対する憧憬があるのだろう。介護の現場で高齢者を長年見てきた専門家が「寝たきりや認知症になるかならないかの境目は、誰かの役に立っているという意識があるかどうか」と言っていたが、多くの人にとって、自分が必要とされている「役割」がある、という感覚は生きる支えになるはずだ。
「孤独上等」と、座して待つ生き方など、ちっともかっこいいものではない。誰にも迷惑をかけないのだから、とウソぶいて、最後には糞尿を垂れ流し、他人に面倒を見てもらうことになるかもしれないのだ。「誰も棺桶に一人で入っていく人はいない」(都内の福祉関係者)のである。人間など所詮、迷惑はかけ、かけられる存在だ。いつか、支えられる立場になるのだから、今から誰かを支えておこう。そうやって寄り添いあう社会になれば、もっともっと、日本人は未来を楽観的に考えられるようになるのではないだろうか。