「この島には暴力団を入れない」

 そんな取り決めがあったにもかかわらず、なぜ“売春島”にヤクザとのつながりが生まれたのか。かつて三重県志摩市の離島・渡鹿野島では、日本人女性に加えて外国人女性も流入し、独特の歓楽街が形成されていった。

 その裏側には、ある有力ホテル経営者の存在があったという。ノンフィクションライター・高木瑞穂氏の新刊『ルポ 風俗の誕生』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

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売春島と呼ばれた渡鹿野島(写真:筆者提供)

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売春島に外国人女性が流入したワケ

「そう。『つたや』は日本人専門だった。でもね、他の置屋には1986年ごろから台湾の子が入ってきた。それ以降、各置屋は『安く使える』と、こぞって東南アジア系の外国人を使いはじめた」

 売春島に外国人女性が流入するようになったのは1985年以降のことだ。

 1989年ごろまではフィリピン人、それからタイ人と続いたという。最盛期には数十人のフィリピン人が住んでいたというが、それと入れ替わるように1990年ごろ、タイ人が入ってきた。果ては、いまもタイ人は少数ながらも売春島で娼婦をしている。それは、対岸の鵜方駅周辺にタイフード食材の専門店があるなど、タイ人たちの生活基盤があることでもわかる。

「でも『つたや』はほとんど外国人を入れなかった。言い換えれば日本人の子らを入れるルートを持っていたとも言えるけど……」

「『つたや』さんは、ヤクザ組織のA組とのパイプがあり、そのルートで日本人の子を入れていたそうです」