三重県の小さな離島は、かつて異様なほどの賑わいを見せていた。パチンコ店にストリップ劇場、置屋、ホテル――わずかな島に歓楽街が凝縮されていた理由とは何だったのか?
ノンフィクションライター高木瑞穂氏の新刊『ルポ 風俗の誕生』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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東南アジアの外国人娼婦も
4人が法律を無視した置屋を復活させた際の島民の感情について三橋さんにたずねた。当然、彼女ら娼婦は招かれざる者たちだという反対意見を想像していたが、さにあらず。
「昔から芸者遊びが盛んだったし、菜売りのために移り住んできた養女も多かった。だから地元の人たちにとって、四国や九州出身の4人が売春置屋をはじめても違和感はあまりないんだよね。島民感情としては、忌み嫌うわけでもなく『賑やかでいいな』というおおらかさがあるんだよね。
またこの島には警察署もなければ、当時は取り締まりもそれほど厳しくなかったから。むしろ島民と一緒になって祭りや運動会に参加したりして楽しんでいた、という思い出がある」
「売春防止法以降の住宅地図をひもとけば、パチンコ屋さんがあったり、ストリップ劇場があったりと、当時の盛り上がりぶりがうかがえました」
「16歳で家を出た僕が休暇で帰ってくると、そのたびに島が賑やかになっていった。当時はパチンコ屋が1軒、ヌードスタジオは2軒あったよ」
「こんな小さな島にパチンコ、ストリップ劇場、置屋、ホテル、民宿、喫茶店、居酒屋、スナックと、まるで東京の歌舞伎町のようだったんですね」
