『聞書 戦前の暮らし方』(古川柳蔵・三橋正枝 編)

 特異な事件は詳細な記録が残るのに、「当たり前の日常」は、時のあわいに消え去ってしまう。個々の記憶には残っても、それを語る機会すら多くはない。日々を確かに彩っていた光景を、ほんの時折思い出しては懐かしむのがせいぜいなのではなかろうか。

 本書は、今ではもう「当たり前」ではなくなってしまった戦前の暮らしを、食事や住まい、生活用品、衣類や仕事に至るまで、当時を知る600名以上から丹念に聞き取り、カテゴリーごとにまとめた、史料としても大変貴重な一冊である。

 居住の都道府県、性別、生年を示した上で、かつての暮らしぶりが方言を交えて記されている。調査開始時、戦前に20歳前後だった方々を対象にしていたため(のちに対象年齢をやや広げている)、多くが大正生まれ。半世紀以上前の記憶が、細部に至るまで鮮明なことにまず驚かされる。

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 ネットやTVで、容易に情報共有できる時代ではないから、地域によって食生活も違えば、冠婚葬祭の様子も趣が異なる。その意味では、単なる懐古ではなく、民俗学にも通じる奥深さがあるように思う。

 灯りはランプを用いたため、煤で黒ずんだ火屋(ほや)を磨くのが子供たちの仕事だった(宮城県)。どの家にも風呂があるわけではないから、近所の家に風呂をもらいにいった(三重県)。家はたいてい二間だけで、家族一緒に寝ていた(高知県)。遠距離を移動するときは、馬橇(ばそり)を使った(北海道)。山で荷を運ぶ「強力(ごうりき)さん」という仕事があった(静岡県)。

 インターネットはおろか、ライフラインも現在のように整備されていない中、工夫を凝らし、協力し合いながら営まれてきたその日々は、得も言われぬ力強さと豊かさを宿していた。

 興味深いのは、基本、自給自足で、保存食のノウハウも充実していたこと。また、現代では職人技とされる作業を、人々が日常的に担っていたことだ。結(ゆい)と呼ばれる相互扶助によって村人たちが持ち回りで屋根の茅葺きをし、家内で藁草履も編めば、縄もなう。

 そういえば、うちの95になる伯母も、未だに草履を編んでは室内履きにしている。父はかつて蜂の子を煎って食べていたし、母は畳に茶殻を撒いて掃除をしていた――案外近いところで、「戦前の暮らし」を垣間見ていたことに気付いて、この時代と今は地続きなのだと改めて知る。本書に触れた読者にも、こんなふうに自身の原風景に出会う方がおられるかもしれない。

 時代を知る上で、市井の人々の書いた日記ほど有用な史料はない。食生活や流行、言葉遣い、世俗や事象への感じ方まで、衒(てら)いのない記録は、時代の空気を偽りなく映すからだ。「当たり前」とか「平凡」と当人が感じていても、そこには揺るがない「生」が宿っている。そうして、今を生きる私たちにも多くの学びを授けてくれるのだと、本書を読んで強く感じた。

ふるかわりゅうぞう/1972年、東京都生まれ。東京都市大学環境学部、同大学院環境情報学研究科教授。専門はライフスタイル・イノベーション。
みつはしまさえ/東北大学大学院環境科学研究科環境研究推進センター特任助教。2015年より現職。

きうちのぼり/1967年生まれ。小説家。『かたばみ』で戦中戦後を生きる人々を活写。近著『奇のくに風土記』で泉鏡花文学賞受賞。