代ゼミが「駿台・河合と決定的に違った」ワケ
代ゼミは年に数回、教養講座も開いていた。こんな触れ込みである。「受験生時代は、入試までの限られた時間の中で学力の錬磨はいうまでもなく、人間形成にも、人生観や世界観の確立にも大事な時である。代々木ゼミナールでは、モットーである“親身の指導”の具現のひとつとして、とかく受験勉強で渇きがちな生徒諸君に潤いと知性を補給するために教養講座を開き、人文・科学・社会など、広く斯界の代表的な諸先生を迎え、有意義な講演を高い教養の窓口としている」(「代々木ゼミナール入学案内 1980」)
教養講座のラインナップは、丸谷才一「文章の話」、大野晋「日本語の源流」、開高健「毒蛇は急がない」、桑原武夫「世界の中の日本文化」、小松左京「科学と文学」、竹内均「アトランティック大陸を求めて」、野坂昭如「自由について」、平山郁夫「敦煌への道」など。こうした顔ぶれも小田氏の人脈によるところが大きい。
代ゼミは、教養講座に限らず専任講師も外部から招いた。大学受験ラジオ講座の講師、人気参考書の執筆者などだ。この点から、青山学院大学教授の入不二基義氏は代ゼミの予備校文化をこう解説する。
「その人選は、アカデミズムに内在的な(あるいは教養的な)視点からというよりも、もっと外在的な・大衆的な観点から、すなわち『知名度の高さ』や『人気度』を基準に、なされていたのではないか。ありていに言えば『集客力』のより大きな講師を招こうとしていたのではないだろうか。しかも、その『マーケティング的』とも呼べる原理・視座は、外部からの講演者を招く場合のみならず、いやその場合以上に、内側本体の予備校講師たちに対してこそ、(どこの予備校よりも)徹底して適用された。〔中略〕代ゼミ的な予備校文化は、アカデミズム的な磁場の内にではなく、芸能界的な磁場の内に置かれているようにさえ見えた。その磁場の内では、『(人気があれば)何でもあり』という開放感と自由の空気が漂い、駿台にも河合にもない独特の熱気とエネルギーに満ちていた」(入不二氏のウェブサイト)