炎に包まれた高級ホテルで、なぜ33人もの命が失われたのか――。昭和57年に発生したホテルニュージャパン火災は、ずさんな防火体制と経営判断が招いた“人災”として社会に衝撃を与えた。さらに、オーナーの言動が火に油を注ぎ、非難は頂点に達する。なぜ惨劇は防げなかったのか。事件の深層を、宝島社の新刊『日本の未解決事件100 犯罪から読み解く「昭和」「平成」「令和」史』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

「史上最大の乗っ取り屋」と呼ばれた横井英樹が犯した罪とは――(画像:時事通信社)

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高級ホテルで起きた大火災

「ホテルニュージャパン」は永田町という都心に立地する、都市型ホテルであった。

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 もとは財閥の藤山コンツェルンが設立母体のホテルで1960年に創業。地下フロアには、あの力道山刺傷事件の舞台ともなった高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」が入っており、政治家も愛用する高級ホテルであった。

 しかしその後の1979年(昭和54年)、「史上最大の乗っ取り屋」と呼ばれた横井英樹がホテルを買収すると経営の合理化が始まり、スプリンクラーが設置されなかったり火災報知器が作動しなかったりと、安全面のリスクが高まっていた。

 そして1982年(昭和57年)、乾燥した冬の夜中に大事件は起きる。

 2月8日午前3時半ごろ、ホテル9階の客室部分から出火。熟睡している時間帯だったせいもあり、逃げ遅れる宿泊客が続出。外国人22人、日本人11人の合わせて33人が死亡、34人が重軽傷を負う大惨事となった。

 この日、ビートたけしは同ホテルに宿泊する予定でいたが、持ち合わせがなかったために新宿プリンスホテルに宿泊先を変更し、難を逃れている。

 悪夢のような炎は約4200平方メートルを延焼、ようやく9時間後に鎮火したが、都心での大火災に消防、警察、野次馬、マスコミ、ヘリコプターが集結するたいへんな騒ぎとなった。

 事件後、オーナー・横井英樹に非難が集中した。