1968年(昭和43年)6月16日、父の日の午後。横須賀駅発東京駅行きの上り列車の5号車で、突然爆発が起きた。

 北鎌倉駅を過ぎた直後の15時28分ごろ、網棚に置かれた荷物が爆裂し、真下にいた会社員の広島勇さん(当時32歳)が死亡。生後2カ月の長女を逗子の病院に見舞った帰りだった。

国鉄横須賀線車内の網棚(左上)に置かれた時限装置が爆発し、乗客1人が死亡、28人が重軽傷を負った(写真:時事通信社)

 さらに28人が重軽傷を負うという惨事となった。犯人の動機は「婚約者にフラれた腹いせ」という、あまりに身勝手なものだった。鉄人社『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』のダイジェスト版をお届けする。

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人を殺した犯人の「あまりに呆れた犯行理由」

 防犯カメラのない時代、捜査は困難を極めた。それでも警察は、現場に残された無数の新聞紙の切れ端をつなぎ合わせるという気の遠くなるような作業の末に復元に成功。爆破装置を包んでいた新聞が、東京都八王子市・立川市・日野市方面にのみ配布された「昭和43年4月17日付 毎日新聞 東京版多摩」であることを突き止めた。

 さらに、爆弾を入れていた菓子箱が名古屋市内の「みすづ総本店」の鯱最中の箱と判明。事件から4カ月後、日野市内の聞き込みで「名古屋旅行の土産にその菓子を買い、隣人に渡した」という証言が得られた。

 その隣人こそが、当時25歳の若松善紀だった。猟銃免許所持者で毎日新聞の購読者、電気関係の通信教育を受け、事件3カ月前から火薬の威力を試していたとの証言まで揃った。11月9日に任意出頭を求められた若松は、取り調べであっさり犯行を自供した。

 若松が横須賀線を狙ったのは、実家の横浜に戻った元交際相手が横須賀線で東京へ出てくるのを知っていたからだ。「爆発騒ぎが起きたら自分のせいだと気づき、男と会うのをやめるのではないか」という、極めて身勝手な発想だった。

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 横須賀線を爆破した男の「その後」とは⋯この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

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