タイトルにある「むるち」にはさまざまな意図が複雑に折り畳まれている。ひとつは、沖縄語(うちなーぐち)で「もどき」を意味する言葉。そして『帰ってきたウルトラマン』に登場する架空の巨大魚怪獣ムルチだ。その存在は、異端を恐れるあまり平然と暴力をふるう人間たちの業の象徴として描写される。本文中の言葉を借りるなら〈人間はいわば怪物もどき(むるち)であり、逆に怪物もまた人間もどき(むるち)なのだ〉。
物語は二つの時間軸が並行しながら進んでいく。それぞれの語りにおいて主人公となるのは「白紙もどき(むるち)」ともいえる子供たちだ。
現代の沖縄を生きる主人公・行生(ゆきお)は小学校の男子集団からいじめの標的にされている。元来オタク気質だった行生はウルトラシリーズをはじめ古今東西のフィクションの世界にのめり込んでいくが、現実にも「ヒーロー」と呼べる存在が現れる。内地からやってきた負けん気の強い転校生・瑞人(みずと)だ。いじめの現場から行生を救い出してくれた瑞人は、行生の大伯父が営む喫茶店「赤インコ」の常連になり、同級生の円鹿(まどか)らもその輪に加わってかけがえのない青春を共に過ごす。
もうひとつの時間軸は沖縄戦の前夜にあたる時代からスタートする。明らかになっていくのは行生の大伯父の修仁(しゅうじ)が少年兵として経験した戦争の陰惨な顛末と、その後の占領期の記憶――つまりは外から来た人間たちによって奪われ、均され、蹂躙されてきた沖縄の傷跡を拾いあげていく物語だ。
かつて島民の尊敬を集めていた「大和の兵隊サン」たちが、年端もいかない少年兵を粛清する場面のむごたらしさは筆舌に尽くしがたい。だがそうした暴力はけっして過去の遺物ではない。例えば行生たちのすぐそばでは、学校の男子生徒たちが女子生徒たちを性的にポイント化して記録し共有するような、おぞましいシステムが口をあけている。
成長するにつれて絵を描くことに魅了され、ちぐはぐだった自らの身体の主導権を取り戻していく行生に対し、なまじ身体能力に恵まれた瑞人の足取りは家庭環境の悪化と共に危うくなっていく。ヒーローが怪物へと転じていく痛ましさ。しかしこの物語はそこで終わらない。ヒントは行生が島を取り囲む基地の壁を白紙に見立てて描くグラフィティアートと、修仁の友人で「赤インコ」と呼ばれていた少年が用いた沖縄語(うちなーぐち)だ。外からやってきた力ではなく、「ぼくら」の内側から「ぼく」や「わたし」の輪郭を立ちあげることで、この世界を蝕む暴力の輪郭に抗っていくのだ。
あちこちで立てられる問いの熱量に圧倒される傑作だ。まだ豊永浩平を読んだことがないという人はこの機会にぜひ覚えてほしい。彼の言葉のエネルギーは、暴力を緩慢に容認してきた目下の社会にするどい楔(くさび)を打ち込み、「戦争」の輪郭を「いま/ここ」にある現実として見事に立ちあげる。
とよながこうへい/2003年、沖縄県那覇市生まれ。琉球大学人文社会学部卒業。在学中の24年、「月ぬ走いや、馬ぬ走い」で第67回群像新人文学賞を受賞。同作で第46回野間文芸新人賞、第11回沖縄書店大賞も受賞。著書に『月ぬ走いや、馬ぬ走い』。
くらもとさおり/1979年生まれ。書評家、ライター。文芸誌、週刊誌、新聞各紙で書評やコラムを中心に執筆。
