『月ぬ走いや、馬ぬ走い』(豊永浩平 著)講談社

 豊永浩平さんの『月ぬ走いや、馬ぬ走い』は、ひらがなで書くと「ちちぬはいや、うんまぬはい」。標準語(共通語)では、あまりお目にかからない、魅力的な(沖縄語の)3・3・4・2のリズム。このことばを、登場人物のひとりは「馬さながらに歳月は駆け抜けてしまいますから、時をだいじにすべし」と解釈している。ぼくたちの国で馬さながらに歳月は駆けた。その有り様を沖縄を舞台にした14の断片で出来たこの小説で、作者は、ぼくたち読者に示す。駆け抜けた歳月に追いつこうと全力で。

 その14の断片で、戦時中から戦後、そして現在まで。沖縄、そしてその近辺の南の島で、若者が、兵士が、女が、老人が、死者が、ことばを発する。標準語で、古びた「大日本帝国」のことばで、紙の上に印刷されたことばで、沖縄のことばで、若者のことばで、幼いことばで、もっとずっと新しい、たとえばラップのことばで。ぼくたち読者は、彼らの発することばに耳をかたむける。いったい、どの時代の誰が、なんのために、どんな意味でしゃべっているのか? 大丈夫。心配することはない。その、実は想像していたよりずっと広くて深い、日本語の奔流に耳をかたむけていれば、最後に、ぼくたちは、なにが起こったのかを知ることができるのだ。

「皇弥栄(すめらぎいやさか)! 私は叫び、御身の後光が身体の隅々までに満ちるのを感じながら鮮血迸る銃創を抱えて敵兵へと吶喊(とっかん)する」と呟いているのは戦死した日本兵だ。

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「母からは、お前(やー)はアメリカアぬ売女(パンパン)をわたしらの一族(わったーぬうぇーか)んかいだすつもりでいるのか(んじゃすんぐわぁしーしうるがや)!? とはげしく責め立てられました」と嘆くのは、戦争で片足を失ったアメリカ人と結婚した女だ。

 そして、「はいやー、はいやー、いやさあさあ(略)かつて流れた名も知れぬ島民(しまんちゅ)のいくつもの涙、それを救うのさおれら(わった)が、ワッタ・ファック、ほとばしるバースはライク・ア・黄金言葉(くがにくとぅば)、おれらは敗者なんかじゃねえぞ刻まれてんのさこの胸に命こそ宝(ぬちどぅたから)のことばが、月(ちち)ぬ走(は)いや、馬(うんま)ぬ走(は)いさ! つねにこの胸に刻んでおけ歴史の大河と言霊(ことだま)、いちばん深い夜空が明けたらやってくんのはほのかなひかりと明日さ……」と歌うのは、いまの沖縄の若者だ。いや、このあらゆることばをミックスし、音楽にし、ひたすら歌いつづける若者こそ、この小説の作者なのだ。

 すべてのことばがミックスされ、強烈なラップとなって、歌われるとき、死んだ者たちも蘇る。過ぎ去った歳月も戻ってくる。変えることができない事実と歴史の向こうに、そうであったかもしれないもう一つの世界の幻が見える。それを信じて作者は書いた。だから、ぼくたちは、それを受け取るのだ。そのためには、耳を澄ませばいい。そうすれば、この小説から、聞こえてくるはずだ。あまりに豊かな「音楽」が。

とよながこうへい/2003年、沖縄県那覇市生まれ。現在、琉球大学在学中。本作で第67回群像新人文学賞を受賞してデビュー。
 

たかはしげんいちろう/1951年広島県生まれ。小説家、文芸評論家。著書多数。近著に『「書く」って、どんなこと?』などがある。