1975年結成のロックバンド・ムーンライダーズは、4年ぶりとなる新アルバムの製作を進めている。リーダーの鈴木慶一さんが今の胸中を語りました。
◆◆◆
ムーンライダーズは今年、デビュー50周年を迎えた。恐ろしい数字だ。オリジナルメンバーの平均年齢は70歳をゆうに越える。これほど長く続けるとは、夢にも思わなかった。
1976年に発売された「火の玉ボーイ」というアルバムは、元々私のソロ作品の予定だった。ところが、レコード会社の意向で、気づくと「鈴木慶一とムーンライダース」名義となっていた。私も私で、特に文句を言わなかった。これが我々のデビューだ。半世紀の歴史は極めてぼんやりとスタートを切った。ヒットとも縁がない。ただ、看板となる代表曲がないことを逆手にとって、イメージに縛られず、自由に活動してきた。常に曖昧さを内包しつつ変容してきた特殊なバンドだと、私も思う。
現在は、4年ぶりの新しいアルバムを製作している。レコーディング中は暗中模索で、常に不安が付きまとうが、深い霧が晴れるように「あ、これはいける」と視界が開けるタイミングが訪れる。いつか来る瞬間のために、様々な音を試して、棄てて、拾う作業を繰り返す。50年経っても変わらないプロセスだ。
6人編成だったバンドメンバーのうち、すでに2人が世を去った。2013年にドラムのかしぶち哲郎君、2023年にはキーボードの岡田徹君が亡くなった。かしぶち君の作る曲は、退廃的でロマンティックだった。岡田君はど真ん中の「ムーンライダーズらしい」サウンドを支えてくれた。レコーディング中、ふとした瞬間に、2人の不在を感じる。何かが足りない、と思うとそれは彼らの音だったりする。ただ、穴は非常に大きいけれど、ことさら埋めようとも考えていない。代わりは誰にもできない。ならば曖昧なままにしておいて、新しい何かが流れ込み、違う形ができればそれでいい。
かしぶち君が体調を崩した頃から手伝ってくれたドラムの夏秋文尚君は、合流して20年以上になる。2020年からは正式なメンバーだ。岡田君が亡くなった後は、さらに2人の30代のミュージシャンに加わってもらい、7人体制となった。佐藤優介君にはキーボードを、澤部渡君にはコーラスや、ボーカルの一部も担ってもらっている。
今や、我々の間で、この若い2人は、サポートの域を超えている。
※この続きでは、大瀧詠一の言葉を鈴木慶一さんが振り返っています。全文は月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年4月号に掲載されています(鈴木慶一「マニアと老人」)。
