俳優の内田有紀(50)が結婚していたことを発表した。相手は、かねてより「パートナー」と公言していた自身のマネジャーで、元俳優の柏原崇氏(49)だ。内田は今年1月、長年所属した事務所を退所し、柏原氏が代表を務める個人事務所へ移籍する形で独立。そして4月3日、事務所のホームページで、「ともに歩んできた時間が家族という形になりました」と連名でコメントした。
いつまでも若々しいイメージから、年齢ごとに“脅威のXX歳”といわれ、老若男女から支持を集め続ける内田。ライターの近藤正高氏がその歩みを辿った記事(2024年11月/配信)を、結婚という節目に合わせ、一部編集して公開する。2人の“なれそめ”、お互いについて語っていたこととは……?
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内田有紀がトレードマークともいうべきショートカットに初めてしたのは、高校2年生になる直前、1992年3月のことだった。すでに中学時代からモデルとして活動しており、17歳となったこの年の11月には'93ユニチカ水着キャンペーンガールに選ばれた。同月にはドラマ『その時、ハートは盗まれた』で俳優デビューも果たし、人気に火がつく。
彼女と同じ髪型にするのが流行った
ショートカットは彼女にボーイッシュで中性的なイメージをもたらすことになる。当時のファンに若い男性ばかりでなく10代の女性が多いのはそのためだとも分析された。実際、女子高校生のあいだでは彼女と同じ髪型にするのが流行った。
CMにも多数出演したほか、1994年10月にはシングル「TENCAを取ろう!~内田の野望~」で歌手デビューした。売り上げは2週間で50万枚を突破し、女性ソロ歌手のデビュー曲では初めてオリコンのヒットチャートで初登場1位という快挙を達成した。翌月のリリース記念イベントには、会場のよみうりランドの収容人員8000人を超える3万人が詰めかける過熱ぶりであった。
人気絶頂で活動休止した理由
だが、その裏で内田は、世間で持たれているイメージと素の自分とのあいだにギャップを感じていたらしい。いつも元気で明るいというイメージもついていただけに、落ち込んでいるときも無理して自分を奮い立たせてきたものの、明るく振る舞おうとすればするほどギャップは広がるばかりだった。
1997年には一旦活動を休止した。《自信がなかったから、人気があったり仕事があったりすることが怖かった。やめたいと思ってたし。それで一回ちょっと離れたいって》と、内田はのちにその理由を明かしている(『AERA』2010年12月13日号)。


