荘子it 予想しようと思えばできたのかもしれないけれど、あえて考えないようにしていましたね。でも実際に蓋を開けたら、親からは保守的な反応があるし、世間からは「進歩的なことをしている」って奇異な目で見られる。その両面があった。

鳥飼 それに対して、弁明してまで「わかってほしい」という気持ちはありましたか? 「自分は意義があってこの選択をした」と示したいのか、それとも「わかんなくても面白い」で突き進むのか。どちらでもいいと思うけれども、そこがちょっと見えづらい(笑)。

 というのも、私も3度目の結婚に際して他とは違う道を選んだわけです。姓を変えるのがうんざりなら事実婚にするのが自然だったかもしれない。でも、それでも法律婚を望んだ私は、自分の元の姓でもなく新しいパートナーの姓でもなく、新たに姓を創るような道を選んだ。ではなぜそんな制度をハックするような選択をしたのか、といういわば弁明としてこの本を書いたわけですね。それに対して、もちろん突っ込まれもする。この選択をわかってほしい思いもあるけれど「全然わかってもらえなくてもいい」という気持ちもある。

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荘子it 鳥飼さんと同じで、僕も好きにやってるだけで必ずしも社会を説得したいわけじゃないし、共感してもらうのも難しいだろうけれど、でも場合によってはそれができるくらいの説得力がないと、自分の中での満足も完全にはできないところがありますね。

 金城姓を選ぶという「高次な遊び」は、いわば崇高な人生に対する賭けです。人生に希望を託している。それが単に”リベラルな選択”みたいな社会的な意義に還元されて伝わって、括弧付きの「進歩的な(ふりをしてる)人」と思われるのは、社会にとっても自分にとっても良くないなと。自分の行動の細かいニュアンスや面白ポイントが、自分の中だけでも限界まで説明できる形であってほしい。

鳥飼 作品を作るのもそうですよね。社会は説得できないかもしれないけれど、この作品を読めば真価がわかるよね、という用意はしておく。自分の中ではやりきるけれど、究極的には社会の承認は求めないというか。

金城 ちなみに、進歩的な男性だと思われるのは嫌なの? 下の世代を見ていても、私はリベラルな男性が理解してくれることに憧れがあるけれど。

荘子it やっぱりカギ括弧付きの「進歩的」っていう、社会に流通している言葉を使われると、どうしたって自分の内面や実情とはズレるから。そういうの全部割り切って引き受けるという境地の人もいるだろうけど、少なくとも今の自分はそうじゃない。

鳥飼 それは、自分がありたい自分であることと、他者にどう思われるかということの差ですよね。周りの声が大きくなるとどうしても他律的になってしまう。私が『先生の白い嘘』で性暴力を描いた時もそうでした。いろんな人が「鳥飼さんはフェミニストですね」と言って褒めてくれる。結果的にはそうなんだけど、私の中では、ただただ女性を取り巻く内なる「嫌さ」を書いただけなのにって。ちゃんと自分の中で咀嚼できないうちは、これはフェミニズム作品だとは言えない、みたいな感覚が長く続きました。

『先生の白い嘘』(講談社)

荘子it 音楽でも「プログレッシブ」って言葉があるけど、やっぱり嫌ですね。それがジャンルになった時点で、奇抜さが好きな人が聴くものっていう枠に収められてしまう。