――生活も変わりましたか?

松本 それまでは親に心配かけ続けてきたけど、「やっと親孝行できるようになったなぁ」「給料もやっと上がったなぁ」みたいな感じでした。それで27歳のときに両親を香川から東京に呼び寄せて、3人での賃貸アパート暮らしがスタートします。

――売れっ子になっていく一方で「電波少年」は過酷なロケが多かったですが、いちばん思い出に残っていることは?

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松本 やっぱり「アラファト議長とてんとう虫のサンバをダジャレたい!」(1995年4月4日放送)ですね。アラファト議長といっしょに「てんとう虫のサンバ」の替え歌で「アラファ~ト私が、夢の国(元の歌詞は「あなたと私が、夢の国」)」とデュエットしよう、という。

 

「最悪、撃たれてもいい。当たらなければいい」

――かなり頭のおかしい企画ですが、どんな風に聞かされていたんですか?

松本 とにかく危険なところに行くぞ、と。土屋さんからは「パレスチナという国(当時はパレスチナ暫定自治区/PLO)のトップに会いに行ってくれ」と直接言われました。

――いまだったら絶対に渡航できないですよね。

松本 当時も自爆テロとかありましたし、最初に聞かされた時は「何を言っているんだろう?」と思いましたね。でも土屋さんは「最悪、撃たれてもいい。当たらなければいい。当たったら映像使えないけど、当たらなかったら大丈夫だから」と言ってました。それでイスラエルのテルアビブ空港から陸路でガザ地区に向かいました。

――ええ……。

松本 国境が1キロほどあって、警備の兵士がずっと機関銃を構えているんですよ。そこを両手を挙げて、何も持っていない丸腰であることをアピールしながら国境を延々と歩いていくんです。

――現地のコーディネーターがいたんですか?

 

松本 まったくナシですよ。本当にアポなしで、私、マネージャー、ディレクター、カメラ、音声と、ロケができるギリギリの5人でした。ヒッチハイクと野宿を繰り返しながら、「アラファト議長に会いたい」と書いたプラカードを首から下げて。

――完全に不審者です。

松本 地元の人にも「無理だ、無理だ」「絶対に会えるわけがない」と言われましてねぇ。でも、こちらとしては「とにかくこの国のボスに会いたいんだ、アラファト議長に会いたいんだ」とだけ伝えていたら、「(アラファト議長が)いるとしたら議長府だ」と教えられたので、海辺(地中海沿岸)に建っていた白亜の議長府に向かったんです。

――当時はガザに議長府があったんですね。

松本 もちろん警備の人に「会えるわけないから帰ってくれ」と追い返されましたけど、そのままボケーッと半日ぐらいしゃがんで待っていたんですよ。そうしたら関係者がやってきて「君、日本人なの? 中東を研究している大学生か何か?」と聞かれたので「イエス、イエス」と答えたら、5分だけ会わせてやる、と。