――まさかの展開に。
松本 私はトイレに連れて行かれて、洋服を脱いで女性兵士からボディチェックを受けました。議長府の中は、階段に赤いカーペットが敷いてありましたね。そこをずっと歩いていって、2階の部屋の奥にアラファト議長がいたんですよ。
「兵士がみんなこっちに銃口を向けたんです。カチャッていう安全装置を解除する音もしました」
――実際にお会いしたときの印象はいかがでしたか?
松本 それはそれはニコニコした、小柄なおじいちゃんでした。会えるなんて思っていなかったから、うれしくて「アラファト議長ーっ!」ってハグしようと近づいたら、まわりにいた銃を持った兵士がみんなこっちに銃口を向けたんです。カチャッていう安全装置を解除する音もしました。さすがにデュエットはできませんでしたけど、一緒に写真を撮ったりしましたよ。
――本当によくお会いできましたよね。
松本 土屋さんとしても「会えるわけない」と思っていたみたいですね。ちょっと現地で危険な目に遭って、そのロケ動画をVTRで見る、くらいの気持ちだったようです。だから、議長府から戻ってきて国際電話で「アラファト議長に会えました!」と報告したら、「危険な目に遭いすぎて、おかしくなっちゃったんだな」と最初は信じてもらえませんでした。
――それにしても「電波少年」はとんでもない企画が多かったですね。
松本 コンプライアンスの緩い時代でしたからねぇ。
――いや、当時も「電波少年はやりすぎだ」とみんな思っていましたよ。なぜあの当時、あそこまで体を張れたのでしょうか。
松本 企画内容を聞いたら、もうトンチンカンにもほどがあるんですけどね。でも、断るという選択肢が頭に浮かばなかったです。とにかく行くんだ、と。もう無我夢中でした。
なんか……、視聴者が喜んでくれてる手応えを肌で感じていて、自分たちも「楽しんでもらいたい、喜んでもらいたい」みたいな使命感を感じていましたね。私も「松村くんよりおもしろいVTRを撮りたい」っていう、変な対抗意識がありました。そのうち出川哲朗さん、山崎邦正さんとかも出てきて、「負けたくない!」とか「もっとおもしろいロケをやりたい!」って常に思ってました。
――もともとはアイドルをめざして上京したのが、いつ頃から「体を張ってでもおもしろいものを届けよう」という考え方に切り替わったのでしょうか?
松本 やっぱり本当に仕事がない底辺を経験したので、もうあの時代には戻りたくないという思いがありました。いただける仕事は一生懸命。「こんなに自分が活躍できる場を与えてもらってるんだ」みたいなことですね。あの四文字事件(のあとの謹慎生活)のときの底辺が……。振り返ると、あの不遇な時代があったからこそ、どんなに忙しくても頑張れたっていうのは、あったかもしれないですね。
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