『闘病記の社会史 私をつむぎ他者とつながる物語』(門林道子 著)

 1990年代前半に全12巻の『同時代ノンフィクション選集』を責任編集した私は、第1巻を『「生と死」の現在』とした。さまざまな人の闘病記を何百冊と読み、日本人の死生観に時代の変化を感じていたからだ。

 人はなぜ闘病記を書くのか。それは病を得た自分と向き合う、あるいは自分が背負っている「生と死」や人生、人間関係を否応なしに問われるからだ。病によって死が迫らなければ、何も考えずただ年齢を重ねるだけである。だから命の本質について考え、書き記す。

 著者は、日本の近現代において書かれた闘病記が、どのような背景で書かれ、社会にはどのように広がっていったのかを社会学の視点でまとめている。

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 病の記録であれば中世でも確認することはできる。しかし、患者の生活や気持ちに触れられる記録は、明治以降に書かれたものになる。正岡子規や堀辰雄のように、結核が作品として描かれたことは、結核患者の「闘病」の日記や手記が、文学の一ジャンルとして読まれるベースになった。

 ただ、患者の「闘い」は静かだったといえる。戦中戦後、私の家では父と長兄、次兄が結核を患った。父と次兄は家族が共に暮らす小さな平屋の狭い部屋で、長兄は施設で、何年も臥していた。「闘病」という響きからはほど遠く、患者は、ただ安静に、そして栄養を摂ることだけを求められた。

 次兄と父は戦後まもなく亡くなり、長兄は新抗結核薬によって救われた。私にとって、結核という病は、屋根の上に登り遠く町の景色を眺める、そのような遊びと同じ時間の中に存在していた。それだけ生と死が同居していたといえる。

 治療法が確立され、結核が死の病ではなくなると、それに替わったのががんだった。苦しみを感じたり、「がん=死」という厳しさから、本人に病名が伏せられ宿痾のように扱われることもあったから、社会にとってがんの存在は重かった。

 だから、70年前後に書かれた、高見順や児玉隆也といった書き手による「がん闘病記」は、世に驚きをもって読まれた。高見は詩的に、児玉はドキュメンタリーに、自身を襲う「死の病」の姿を日本人に伝えた。

 80年代に入ると、苦しみと闘うだけでなく、受け容れ、新しい生き方を探る「レジリエンス」という考えが普及した。上智大学のアルフォンス・デーケン教授が主宰した市民の会の影響が大きかった。誰もが闘病記を書くようにもなった。

 現代では病気の現実を説明し、治療方針を示して、医師と患者で共に治療に取り組む時代になり、がんとの闘い方は大きく変わった。

 私たちは言葉を持つ。書く能力を天から授けられたといえる。人間は、背負った痛みや苦しみを表現することで、いのちと向き合う。死までの、限られた時間をどう生きるか。その記録が、日本人を、時代を映していて意義深い。

かどばやしみちこ/1955年、石川県生まれ。日本女子大学大学院人間社会研究科博士課程後期(現代社会論専攻)単位取得満期退学。博士(学術)。専攻は医療社会学、臨床社会学、死生学。著書に『生きる力の源に――がん闘病記の社会学』、共著に『死別の社会学』など。

やなぎだくにお/1936年、栃木県生まれ。ノンフィクション作家。『ガン回廊の朝』、『ガン50人の勇気』など著書多数。