2025年は日航ジャンボ機墜落事故から40年の節目。墜落現場の“御巣鷹の尾根”では、遺族と日航OBが手を取り合ってボランティアに取り組んでいる。恩讐を超えた光景を、ノンフィクション作家の柳田邦男氏が伝える(文藝春秋2022年9月号より)。
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新しい精神文化のあり方
今年5月はじめのこと。
柔らかい春の陽射しをあびた深山の、巨石の転がる渓流に沿った急な登山道を登っていくと、両側の急斜面を埋める、天頂の白い雲を突き刺す白樺やコナラなどの枝先の開いたばかりの淡い薄緑のちっちゃな葉たちが、はしゃいでいるかのように煌めいて迎えてくれる。
ここ群馬県南西部の果て、御巣鷹山を包む新緑は、ここは天国ではないかと思えるほど、一点の濁りもない透明感が神々しいまでに漲(みなぎ)っている。
37年前の8月12日、日本航空のジャンボ機が墜落し、乗客・乗員520人が亡くなった山だ。科学技術の粋を集めたジェット旅客機が、なぜ大惨事を起こすのか。大切な家族の命を奪われるという苛酷な運命を背負った人たちは、どのような人生を歩むことになるのか。容易には解けそうにない宿題を背負った気持ちに突き動かされて、折に触れては慰霊登山を続けてきた。
現代に生きる人間の「生と死」「喜びと悲しみ」を、自分なりの眼で深く掘り下げたところで捉えたいという思いで、黙々と取材してきた。そんななかで、この十数年、日航機事故だけでなく、様々な事故や災害の被害者や被災者、つまり苛酷な喪失体験者のなかから、人間の精神性の在り処としてとても大事な、新しい精神文化のあり方が生まれ始めたと言える動きが見られるようになった。今年5月はじめ、山開きの知らせを受けて、御巣鷹山への慰霊登山に出かけたとき、山を包む新緑のあまりの柔らかな情景に、私が神々しさを感じたのは、そうした喪失体験者のなかから芽生えた新しい精神文化への強い思いを心の中に漲らせていたからかもしれない。
恩讐を超えて
狭い登山道は、大雨や雪で崩れかかったところが少なくないが、山を管理する上野村や日本航空有志たちの作業で、パイプの手すりやアルミ製の渡り板や階段が設けられ、登山の安全が確保されている。
事故機が墜落したのは、御巣鷹山の山頂から南側に離れた標高1500メートル余の尾根だ。機体はバラバラになって炎上し、胴体後部は尾根の反対側斜面の木々をなぎ倒して、スゲノ沢まで落ちていった。乗客・乗員の遺体の発見位置は、尾根周辺からスゲノ沢にかけて広範囲にわたったので、後に建てられた個々の犠牲者の墓標も斜面の広い範囲にわたって林立するかたちになった。
