尾根に至る登山道は、道程(みちのり)の半ばあたりからは、葛折(つづらお)りになり、斜面もきつくなる。はるか前方にスゲノ沢上流付近の墓標群が小さく見えてくると、左手上方の7合目あたりの斜面の一角に休憩用の山小屋が見えてくる。山小屋からは、いつもは静かなのに、何やら工事をしている音が響いてくる。

 山小屋に辿り着くと、数人の男たちが入口のすぐ上に出っ張った屋根の修理工事をしている。冬場の小規模な雪崩で屋根が壊されたのだという。部材を屋根上に持ち上げたり、金槌で釘を打ったり、皆いい年嵩(としかさ)の連中なのに、まるで学生の部活仲間のような和気藹々(あいあい)とした雰囲気で作業をしている。自称「ダン組」の男たちだ。

事故現場の“御巣鷹の尾根”では、様々な事故や災害の遺族と一堂に会す(写真は筆者提供)

「ダン組」とは、日航機事故で小学校3年生の9歳だった健ちゃんを亡くした父親の美谷島善昭(みやじまよしあき)さんと日本航空OBの大島文雄(ふみお)さんが中心になって、春の開山時と夏の8月12日直前と晩秋の閉山時に、傷んだ墓標の基盤や登山道などの修復作業にボランティアで取り組んでいるグループだ。事故から20年余り経ったとき、日本航空を定年退職後も山に入り、墓標の修復や枯れた生花の整理などを個人的に黙々とやっていた大島さんの姿を見た善昭さんが感動して、「これからは一緒にやりませんか」と声をかけたのが始まりだった。かけがえのないわが子の命を奪われた父親と加害企業の社員OBが恩讐を超えて、520の御霊の眠る山を守るために個人レベルで「つながりあう」というかつて例を見ない人間関係が生まれたのだ。

■連載「御巣鷹『和解の山』」

第1回 御巣鷹「和解の山」<<今回

第2回 閖上のシャボン玉

第3回 石巻のマーガレット

最終回 22年目の乾杯

次の記事に続く 〈日航機事故40年〉東日本大震災の遺族が“御巣鷹山”に登る理由とは? 息子を亡くした母親が出会った“運命の一冊”