愛娘「趣里」の名前に込めた想い
伊藤もまた、出産後に週刊誌の取材に応じて、喜びを語った。
〈『ホヘーッ』という小さな産声でしたけど、顔を見たら、すごく可愛くて……(中略)。母親の実感と言われても、まだピンとこなくて……。それより、出産の大変さは想像を絶するものがありましたね。(水谷が側に付き添ってくれたことには)でも私、夢中でしたので、あんまり覚えていないんですよ(笑)。でも、ずいぶん励ましてくれて感謝しています(中略)。(水谷が最初に娘を抱いたときは)変に上手で(笑)、はじめっからこわがりもせずに、きちんと抱いていましたね。きのう、オシメの練習をしてました。上手ですよ(中略)。自分が将来、結婚も、出産もしないだろうと思っていましたので、遅かったけれど、この日が迎えられてすごく幸せです(中略)。月並みですけど、人の気持ちのよく分かる、思いやりあるやさしい女の子に育ってほしいです〉(『週刊明星』1990年10月18日号)
娘の名前は、水谷が「趣きのある世界が好き」なので、「趣という漢字を使う」と決めていた。名付けを終えなければ、出生届が出せないのだが。
「だけど、どんな文字と組み合わせて名前にするか、なかなか決まらなくて。もう諦めて別な名前を考えようかと思っていたら、ある日、テーブルにメモが置かれていたんですよ。蘭さんが書いたもので、趣の下に里を付けると趣里という名前になる、と教えてくれた。だから、趣里の名前は彼女と2人で考えたんです」
できるだけ長く俳優を続けようと決意
戸籍に娘の名前が記載された頃だ。違う世界が見つかったら、いつでも俳優を辞めようと思っていた水谷が、できるだけ長く俳優を続けようと思ったのは。
「娘が生まれて、自然にそういう気持ちになったんですよ。自分が選ぶというより、オファーがあってこその仕事だから、一生やるとまでは言い切れないけどね」
36歳で再婚。38歳で父親になった水谷は、これまでの人生で何かを意図的に変えようと思ったことはないと言う。
「僕は変わる努力はしないんです。むしろ、変わらないものを持ち続けている方が大事かな。本当に必要なら、自然に変わりますよ」
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