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「一生、自分は自分」という人は、そんな自分とどう付き合うのか?

この時代「人生のデザイン」なんて、できるのか

2018/08/30
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私たちの9割9分9厘は、何者にもなれない

 そして、大量に生まれたバーチャルユーチューバーすらも、その大多数は何事を為すこともなく、再生数も伸びなければ更新頻度を維持することもできずに消えていく運命にあります。実際には、何事か為すのは容姿だけではなかった、という。みんな美少女なのに、中の人の能力やコネクションの有無で壮絶な勝ち負けが決まるのが現実であったことを、数多の敗者が思い知ることになるのです。美少女のガワを被っても、つまらない奴はつまらないし、映像を作り続けるアウトプットができない奴は一度二度動画を出しただけで冷温停止状態になるのが世の中の常であります。「早く始めて、やり続けられたセンスある奴が勝つ」のは、バ美肉の世界も世間一般と変わらない摂理で動いているからに外なりません。

 実際には、美人でも美男子でもない大多数が、若さすらも失い、たいしたことのない人生を送る。人生はその暇つぶしとして過ぎていくのが現実でそのものです。まあ、これはもうしょうがない。いやもちろん、俺は凡人と違う、私は平凡ではない、と思うのは、それはそれで幸せなことだと思います。他の人よりも優れた学歴を持つ、良い仕事をしている、幸せな家庭を築いている、健康で日々を楽しく暮らしている、そう自信を持って言える人々は本当に幸せですけど、でもそういう幸せな時間というのは貴重で、気づいてみると親の介護だ自分の病気だ子育ての苦悩だ夫婦の悩みだいろんなものを抱えて人生を削り取られていくんですよね。

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 かように、同じ時代に生きる私たちの9割9分9厘は、何者にもなれず、何事をなすこともなく、ただ平凡に日々を生きて死んでいく運命にあります。よく考えなくても、先週の晩飯に特別な何かを食べたかどうかすら思い出すことができない日常にいるわけですよ。っていうか、今月何食べたか毎日残らず全部思い出せる人、います? 懸命に生きているはずが、その懸命さゆえに、日々の中へ人生の時間が溶けていって、いま目の前にあるものしかきちんと認識できずに生きているのが人間なのかもしれないな、と感じるのです。それこそ、宮台真司さんが著書『終わりなき日常を生きろ』で喝破したように、理想も幻想も失われてそれぞれの人生を物語として紡いでいく時代となった割に、人間として生きるための確たる規範を求めがちで、しかしそれが示されずに漂流する現代日本人、みたいなものが常態化しているのかもしれません。

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「学歴だけがゴールじゃねえよ」と学生時代は喝破してみたものの、いざ社会に出てみると本当に有用な仕事は学歴のある人たちが選別されている世界であることに気づき、子どもができてみると背伸びをしてお受験に走り回る親御さんは身の回りにたくさんいます。分かりやすく示されるゴールというのは、いざ手に入れてみる儚いものなのに。

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人生のゴールを持ちえない世界で、人生をデザインできるのか

 ふと冷静になって、私ってどういう人間なんだっけ、と思い返すわけですよ。将来に対する漠然とした不安、過去における拭いがたい反省、見えない未来と見たくない過去に挟まれた、決して100点満点とは言えないいまの人生。理想に近づけよう、100点を目指そうと思えているうちはまだマシで、いや、ひょっとして何を目的にしているのかすらはっきりせんのです。というか、読者の中でご自身の人生はいま目標や目的に向かって驀進中ですと胸を張って言える方ってどれだけいらっしゃるんでしょうか。バラ色の未来に向かって日々努力を重ねていられると思える人ほど、私は幸せなんだと思うんですけど、でも実際には神なき現代において理想もなければ幻想も持ちえず、これが人生のゴールだと与えられることもないなかで自分の人生をデザインできる生き方ができる人は稀だ。