全身に入れ墨を入れることまで考えた

――大学受験はされたのですか?

澤田 親の手前、医学部に数回挑戦しましたが、受かるはずもありません。浪人時代は雀荘や競輪に通い、勉強はまともにしていませんでした。3浪目はセンター試験の数日前にバイク事故を起こしてしまい、骨が見えるぐらいの激しい裂傷で1カ月の入院となりました。その時は、超ポジティブにその事故を捉え「神様が受験を辞めろと言っているんだ」と思い、受験から離れることにしました。

 母にとって、このときの事故は今もトラウマになっているそうです。救急車のなかから実家に電話をしたので、今も母は電話の向こうで救急車の音がすると、当時の衝撃を思い出してしまうと。

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――そのあとはどうされたのですか?

澤田 20歳を過ぎてからはもっと悪い世界の人たちと付き合うようになり、本格的にその世界の人間になるか、一般社会で生きていくか真剣に考えることもありました。そっちの世界にいるなら、全身に入れ墨を入れて決意を固めるつもりでいました。

当時の澤田さん 本人提供

――結果的にそうならなかったのはなぜでしょう?

澤田 家庭環境だと思います。親にもらった身体に入れ墨を入れることにためらいがありましたし、仮に僕の子どもが、僕と同じような道を行ったら絶対に口を出すし、許さないでしょう。でも両親は何も言わずにずっと見守ってくれました。家から放り出すことなく、育ててくれた。親は裏切れないと思いました。

 とはいえ、その後は家にずっと引きこもり、たまに悪い友達と遊びにいって、バイトして、小銭を稼いでの繰り返し。1年間は本当に何もやっていませんでした。そんな生活をしていたところ、建設会社の社長をしている高校時代の友達のお父さんが、うちで働かないかと声をかけてくれたのです。

社会人になって突き付けられた「受け入れがたい」劣等感

――働いてみて、いかがでしたか?

澤田 不動産関係の仕事も含め、様々なことを経験しましたが、もともと与えられた課題に対し、一つ一つ解決しながら進めていく作業は好きなので、楽しいなと思うこともありました。のちに宅建の資格も取りました。

 一方、社会というのは、僕にとっては劣等感を思い切り突き付けられる場でもありました。人と話していると、雑談で「大学どこなの?」とごく自然に聞かれるのですが、僕が高卒だと分かった途端、マウントを取ってくるというか、空気が変わるのが分かるんです。

 中高生のときは、通っている学校名を伝えたら、「すごいところに行っているね」と言われるのが当たり前で、僕もそれを普通に受け止めていました。それが社会人になって、自分が下に見られる側になった。最初は嫌で、受け入れがたかったです。

 僕には双子の兄がいるのですが、兄は一足先に歯学部へ進学していました。僕がヤンキーをしたり、引きこもったり、社会で劣等感に苛まれている間に、兄は着実に経験を積み、待遇も上がっていく。自分だけが取り残されているように感じました。