放置していた心の中の荷物に向き合う

――何がきっかけで、再び医学部を目指すようになったのでしょう?

澤田 一つは、僕に手を差し伸べてくれた、社長の存在です。豪快で、面白くて、博識で。折に触れて僕の背中を押すような言葉をかけてくれる、僕にとって第二の父のような人です。

 社長はかつて医師を志していましたが、事情が重なり、父親の会社を継ぐことになりました。社長は、僕によく「いつか一緒に医者になりたいな」と声をかけてくれていました。

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 小学生の頃に外科医になりたいと思ったのは、単純に父が医者だったからです。でも社会人として働きながら、自分や知人が体調を崩して医療のお世話になるなかで、医師は人の健康を支える素晴らしい仕事だと改めて思うようになっていました。社長と行った旅先で、「きっと医者になれるぞ」と言いながら、彼と一緒にかわらけ投げ(素焼きの小さな皿【かわらけ】を投げて、厄払い・願掛けをする縁起行事)をしたことは、今も忘れられません。

 とはいえ、具体的な行動にはなかなか移せませんでした。心の片隅に、捨てきれないまま置き去りにしている荷物がある――そんな感覚だけがずっと残っていました。

現在の澤田さん 本人提供

――背中を押したのは?

澤田 転機は28歳のときです。母が人工関節の手術を受けることになり、忙しい父に代わり僕が付き添うことになりました。ところが、医師の説明を受けてもちんぷんかんぷんで、手術の話も頭に入ってこないし、「質問はありますか」と聞かれても何も出てこない。命に関わる手術ではありません。でも、もし僕が医師だったら、状況を理解して、分かりやすく説明して、母を安心させてあげられるのに――。自分が医師にならなかったことが、こういう形で返ってくるのかと、深く胸に突き刺さりました。

 放置していた心の荷物を、今すぐどうにかしなければ。想いが爆発した瞬間でした。今でもその日を覚えています。2011年3月1日。母の見舞いの帰り道、近所の本屋へ参考書を買に行きました。

次の記事に続く 「長年の苦労がやっと報われた」と母は喜んだ…かつては渋谷を暴走族として走り回った「元ヤン」ドクター(43)が28歳で医学部受験を決意して夢を現実にするまで

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