――そこで思いとどまれたのですね。

小田切 本当は死にたかったわけじゃなくて、死んでやりたかっただけなんですよね。だって、本当に死にたかったら台も自分で用意していたかもしれないですし。そういうことがあったから、中学時代はそれが一番心の傷になっていますね。

 あとは卒業の時に、卒業アルバムにみんなで寄せ書きするじゃないですか。みんなが「3年間ありがとうね」みたいなことを寄せ書きしあう中で、私はど真ん中に大きく心を突き刺す言葉を書かれたんです。

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――それはすごくつらいですね。

小田切 その日の帰り道に、卒業アルバムを捨てて帰りました。若い時はすごくそれが傷になっていましたけれど、今思えばその傷が強さになったかなと思う部分もあります。

 

「自分もそこで生きられるんだ」17歳で家出をした経緯

――その後、高校には進学したのですか。

小田切 継母は私が私立に進学することにこだわっていたので、その希望を叶えて私立の高校に入りました。

 16歳でバイトを始めてお金を得られるようになり、高2の時に初めて新宿二丁目に行ったんです。そうすると、これまで悩んでいたセクシュアリティの部分が解消されたんですよ。「私と同じような心の傷を負った人がいっぱいいるんだ」と。

――居場所のような。

小田切 当時の私にとっては「自分もそこで生きられるんだ」という場所が見つかった感じでしたね。それから二丁目に入り浸りになってしまったんですけれど、そこで初めて恋愛をしたんです。

――相手はどんな人だったのですか?

小田切 夜の世界の人だったので生活のサイクルが真逆だったんですが、その人に会って、初めて生きている心地を感じたんです。自分のことを認めてくれて、愛してくれて、愛することができる人。

 ずっと感情がなく生きていたから、感情が生まれたことが嬉しくて。「今まで私は死んでたんだな」と思いました。そこから彼の夜型の生活に合わせていったので、学校にも行かないで、出席日数も足りなくなってしまったんですね。それで継母が学校に呼び出されて。

――継母は怒っていたのでは?

小田切 「どうなっているんだ」と問われたので、その時に全部告白したんです。私のセクシュアリティのこと、付き合っている人がどんな人かということ。そして「家から出ていきます」と伝えました。そうしたら、継母はすんなり「わかりました」と言ったんですね。

――意外にあっさりだったのですね。

小田切 それで「生活は全部自分で工面してやりなさい」という約束をして。ただその次の日に、継母がわんわん泣いていて、「セクシュアリティの面でそうさせてしまったのは、今までの私の育て方が悪かったのかも」と言ったんです。それは全然違う問題なのに。

 でも、例えばそうだったとしても謝ってほしいのはそこじゃないんですよ。ただ、継母は少なからずそこに責任を感じたようなんですよね。

 ともあれ、そういう経緯で17歳の時に家を出ることができたんです。

撮影=三宅史郎/文藝春秋

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