一〇〇〇万以上の奴隷が新大陸に
カリブ海地域にアフリカからの奴隷が導入された時期は非常に早く、なんと1501年にスペインで黒人奴隷に関する法令が公布されています。それとほぼ同時に、最初の奴隷数十名がエスパニョーラ島の鉱山に導入されました(R・メジャフェ『ラテンアメリカと奴隷制』による)。16世紀初頭から19世紀末までの400年の間にアフリカから新大陸に連行された奴隷の総数は、最近の推計では1200万~2000万人だとされます。
『カリブ海世界を知るための70章』(国元伊代編著)に引用されている”Trans-Atlantic Slave Trade Database”によれば、1501年から1900年までに南北アメリカに連行されたアフリカ人奴隷の総数は1233万7千人で、最も多い導入先はブラジルで553万3千人、以下、英領カリブ(ジャマイカ、バルバドス他)が276万4千、スペイン領(カリブ海と中南米大陸)が159万3千、仏領カリブ(ハイチ、マルティニーク、グアドループ他)が132万9千、と続きます。直接北米大陸に導入されたアフリカ人奴隷は47万3千人でした。
ちなみにブラジルがポルトガル領になったのは、1500年にポルトガル人ペドロ・アルヴァレス・カブラールがブラジルのバイーア近辺に到達したのがきっかけです。信じがたいことですが、1494年にスペインとポルトガルの間に締結されたトルデシリャス条約によって、大西洋のベルデ岬諸島から西に約2000キロ西の子午線(西経46度37分)の東側の新領土がポルトガル領、西側の新領土がスペイン領、ということになってしまったのです。その取り決めに従って、ブラジルの東側、大西洋岸から現在のサンパウロ付近までがポルトガルのものになったわけですね。
なんともむちゃくちゃな話でして、この両国の国力が衰えてくると、イギリスやフランス、オランダなどはそれに反発して、カリブ海の島々をどんどん自国のものにしてしまいます。「大航海時代」というのは、実のところはヨーロッパ人による「大侵略時代」だったのです。
ヨーロッパ人は、武器や装飾品などを対価として主に西アフリカの王たちから奴隷を購入し、それを船でカリブ海や新大陸に運びます。そこで奴隷労働によって生産された砂糖や綿花、タバコやコーヒーなどがヨーロッパで消費される、といういわゆる「三角貿易」のパターンが確立したのは、17世紀後半以降のことでした。アフリカから新大陸までの「中間航路」の間に病気や自殺などで亡くなったアフリカ人は全体の12パーセント強(15パーセント程度だという説もあります)だとされています。また、強制的に連行される前に殺された数も多く、アフリカからの奴隷連行の被害者の総数は数千万人いた、と考えられます。ヨーロッパ人の「新大陸発見」は、おそろしい数のカリブ海先住民とアフリカ人の生命を奪ったのでした。
この強制的な大変動は、カリブ海さらにはその周辺の音楽にも大きな影響を及ぼしますが、それは後に詳しくみていきましょう。
さらに当時のニューオリンズには、18世紀末から19世紀初頭にフランス領サン・ドマング(イスパニョーラ島西部、現在のハイチ)で起きた黒人革命によって逃亡してきたクレオールの子孫が相当数いたはずです。ハイチ革命は1791年の黒人奴隷の反乱に端を発し、黒人将軍トゥーサン・ルーヴェルチュール(1743~1803)たちの活躍によって、1804年にナポレオン軍を破って黒人政権が誕生します。驚天動地ともいうべきこの革命の影響は大きく、ハイチの隣の島であるキューバにも多数の逃亡者が押し寄せたのですが、それについても後に詳述します。
「クレオール」という言葉について
ハーンが手紙で言及している「クレオール」とは、前述したように「フランスあるいはスペイン系とアフリカ系の混血の人たち」のことですが、実はこの言葉の意味はもっと広いんです。本書の後の方でも「クレオール」という単語が何度か出てきますので、ここで簡単な説明をしておきましょう。
『リーダーズ英和辞典』(研究社)で「creole」を引くと、以下のような説明があります。
1 クレオール《1)西インド諸島・中南米などに移住した白人[《特に》スペイン人]の子孫 2) メキシコ湾沿岸諸州の、フランス[スペイン]系移民の子孫 3)フランス[スペイン]人と黒人の混血児 4) 《古》アフリカから連れてこられた黒人に対して、西インド諸島・米大陸生まれの黒人 5) おおまかにLouisiana 州生まれの人》
2 クレオール語 《1)Louisiana州南部の黒人の話すフランス語を基盤とする言語 2)=HAITIAN CREOLE》;〘言〙クレオール語《母語として用いられるようになったピジン語》」
ハーンが手紙で使っていた「クレオール」は、この語釈の「1―3」ですが、西インド諸島(カリブ海の島々)や中南米で生まれたヨーロッパ系の人たちも「クレオール」ですし、古くは新大陸で生まれたアフリカ系の人々も「クレオール」と呼ばれていたのでした。ヨーロッパとアフリカの人と言語と文化がアメリカス(南北アメリカの総称)で出会い、いつのまにかヨーロッパでもアフリカでもない新しい何かが生まれてきたことが「クレオール」であるのなら、本書でとりあげるジャズやラテン・ブラジル音楽はまさにクレオールそのものです。
