大航海時代は、南北アメリカにとっては「大侵略時代」でもあった。カリブ海から「消えた」先住民、そして1000万人を超える人々がアフリカ大陸から連行される。ポピュラー音楽誕生の背景となる、過酷な世界史の現実に迫る。

 音楽評論家の村井康司氏の新刊『世界史はジャズで踊る』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。

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「大航海時代」と黒人奴隷

 ジャズを含む南北アメリカ地域のポピュラー音楽は、ヨーロッパの文化・アフリカの文化・先住民の文化が複雑に入り混じって誕生したものです。ここで、その遠因となった世界史上の大事件についての話をしましょう。

 1492年10月11日、クリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)が率いる船団が、カリブ海のサン・サルバドル島に到達しました。イタリア半島ジェノヴァ出身のコロンブスは、スペイン王室に掛け合って大西洋を渡ってインドに到達することを約束し、2ヶ月余りの航海の末、彼が思ってもいなかった未知の海域、カリブ海にやってきたのでした。

 ジャック・アタリ『1942』には、コロンブスが最初の島に上陸した10月12日朝の様子が、次のように描かれています。

〈金曜日の朝に、彼は《王冠を戴いたフェルナンドとイサベルの頭文字を組み合わせた十字架を刺繍した旗を右手に持った》羽飾りをつけた記録係と一緒に上陸する。そこには数世紀前にオリノコ川からやってきたアラワク語族に属するタイノ族が住んでいて、彼らはその島をグアナハニと呼んでいる。コロンブスはその島をサン・サルバドール〔救世主〕と名づける。(略)おとなしい先住民が会いに来る。(略)コロンブスは彼らを人間とは考えていない。しかし彼は自分がまさにアジアにいるのだということを自分自身で確信し、また部下の者たちにも証明するために、彼らの言うことを理解したいと思う。〉(斎藤広信訳)

 コロンブスは1502年までに都合4回カリブ海方面への航海を行いましたが、彼は1506年に亡くなるまで、自分が発見した島々はアジアの一部だと主張していたそうです。

 16世紀に入るとヨーロッパ人たちは、コロンブスが見つけた地域はアジアではなく、今まで知らなかった広大な大陸とその周辺の島であるということに気づき、そこに植民地を作って利益を得ようとし始めました。現在ハイチとドミニカ共和国があるエスパニョーラ島やキューバ島などのカリブ海地域では、スペイン人たちは先住民を使役して農業や鉱山開発を行おうとしましたが、先住民たちの多くはヨーロッパ人たちに殺されたり、ヨーロッパから持ち込まれた疫病に罹患したりしてほぼ絶滅状態になり、それに替わる労働力として、アフリカから奴隷が連行されることになったのです。

「新大陸の悲劇」はコロンブスに始まる

 この「カリブ海における先住民の〈絶滅〉」については、近年のDNA技術の進歩によって否定されつつあることが、井野瀬久美惠『奴隷・骨・ブロンズ――脱植民地化の歴史学』で報告されています。それによると、スタンフォード大学の遺伝学者カルロス・バスタメントの調査では、プエルト・リコの場合は人口の一〇~一五パーセント、ドミニカ共和国では五パーセントに、タイノ(註:カリブ地域の先住民)のDNAが保持されているとのことです。井野瀬氏は続けて「人口調査に結婚・出生記録をクロスさせた歴史研究者の検証からは、スペイン人がタイノの女性を『妻』にすることが多かったこと、奴隷にされた『先住民』が『アフリカ人』に書き換えられた例が少なくないことも明らかになってきた。」と述べています。とは言え、カリブ海地域の歴史の表舞台から、比較的早い時期に先住民たちの姿が見えなくなってしまったことは事実でした。