「とにかくおもしろいものを作ろう!」というその思い一つでした
――アナウンサーの仕事は、その大半がメディアを通じて大衆の目に触れることになりますが、そこに抵抗感などはなかったのでしょうか?
中村 入社してみると、知らないことやできないことがあまりにも多かったので、「頑張って、はやく一人前にならなきゃ」という気持ちが強かったんです。それにとにかく忙しい。ですから、“テレビに出ている”ことはそれほど意識していなかったのかもしれません。
――局アナ時代は、スポーツ報道を志望されていたそうですが、実際にはバラエティ番組の進行やアシスタントを数多く務められました。どの部署も大変だとは思いますが、バラエティはアナウンス技術だけでなく、演者としての才も求められますよね。
中村 バラエティ番組は、毎回同じ結果になることはありません。これをやれば正解という型がなく、アナウンサーに求められる役割もその都度違いました。メインの芸人さんやMCの方によって番組の作り方や進め方が全然違うので、それをいちいち確認するわけにもいかないし、「この人はこういうスタイルなんだな」と瞬時に把握して動くのはとても大変でした。
――バラエティの適性があったからこそ、長く担当されてきたかと思うのですが、この人とはウマが合う、やりやすいという方はいましたか?
中村 私からそんな大それたことは言えません(笑)。全力で追いかけ、流れを壊さないようにと毎回必死でした。私にバラエティの適性があったというより、当時は今より番組が多かったですし、新しいことを始める時に、新人や経験不足のアナウンサーでも使ってくれる懐の深さみたいなものがありました。特にフジテレビは、未熟だったり失敗したりすることをおもしろがってくれる自由な雰囲気の会社だったので、そのおかげで本当にのびのびとやらせてもらいました。
――「局アナは会社員で使い勝手がいいから、色々な番組に呼ばれていただけ」――以前エッセイでそう書かれていたのが非常に潔く印象的でした。実際、アナウンサーというよりは「制作スタッフの一員」という感覚も強かったのでしょうか。
中村 まさにそうです。当時、私がご一緒していたバラエティのスタッフさんは「とにかくおもしろいものを作ろう!」というその思い一つでした。私も、演者さんに気持ちよく仕事をしていただきたいということを最優先に考えていたので、収録が終わればスタッフさんといつも反省会をしていました。
写真=志水隆/文藝春秋
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