『届かせる技術 ヒットを「狙って生み出す」思考と仕組み』

 ネットフリックス、Amazon Prime Video、ディズニープラス――。 

 配信プラットフォームによって次々と生み出されるメガヒット作品がいま、世界を席巻している。彼らは一体どうやって、人々の心に届き、ヒットするエンタメを世に送り出せるのか? 思わず全話一気見してしまうドラマはどのようにして生み出されているのか?

 元Amazon Prime Video日本オリジナルコンテンツ製作責任者で、『沈黙の艦隊』『Broken Rage』などに携わった早川敬之氏がその秘密を明かした『届かせる技術 ヒットを「狙って生み出す」思考と仕組み』が刊行された。

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 今回は、その中から2025年以降「最悪の不況」とまで言われるようになった韓国映画界の現状について解説した箇所を一部抜粋する。

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「386世代」が流れを主導

 なぜ、韓国勢は怖がらずに政治を舞台にしたエンターテインメントを作り続けられているのか。その大きな原動力が、戦うクリエイターたちの存在です。「386世代(サンパルユク世代)」と呼ばれるクリエイターたちがこの流れを勇敢に主導してきました。

 386世代は、韓国の社会、政治、文化の文脈で用いられる言葉で、数字は具体的には次の世代を意味します。

・3……1990年代に30代になっていた
・8……1980年代に大学生だった
・6……1960年代に生まれた

 朝鮮戦争で国土が荒廃した韓国ですが、その後は経済発展を遂げ、そして1988年にはソウル・オリンピックが開かれます。つまり60年代に生まれた人々は、韓国の経済発展の恩恵を受けた世代である一方、軍事政権への抵抗運動に積極的だったという背景もあります。

 歴史をたどってみると、1979年に朴正熙大統領が暗殺され、翌80年には光州事件が起きて民主化が弾圧されます。89年、隣の中国では天安門事件も起きた。こうして政治的な激変を見てきた世代が、2000年代に入って政治、メディア、経済界でも重要な地位を占めるようになり、世代としての存在感を示すようになります。

 ですから、彼らにとって映像表現も「ひとつの戦い方」なのだと思います。

 彼らは高校生、大学生の時に、社会正義とはなにかという問題に学生運動を通じて向き合ってとことん考え抜き、時には血も見てきたはずです。兵役も経験しています。そうした体験を経て、韓国社会にとって重要な記憶にエンタメを持ち込むことによって、386世代は戦いを継続している。非常にスマートなやり方だと思いますし、なおかつお客さんが喜び、経済的にも潤う。これは三方良しといえる、一種のイノベーションと呼んでいいかもしれません。

ポン・ジュノの「闘争」

 この386世代を代表するひとりに、『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー作品賞、監督賞、脚本賞を獲得したポン・ジュノ監督がいます。 

『パラサイト』は、2025年に「ニューヨーク・タイムズ」が発表した「21世紀のベストムービー」に選ばれました。

 ただ、ここに至るまでにポン・ジュノ監督は相当、苦労されています。政治的なテーマを常に作品に盛り込んだことで、政府当局からマークされるようになったからです。

 2006年には、在韓米軍が大量のホルムアルデヒドを漢江に流出させた「漢江劇毒物放流事件」を基にしてアイデアを膨らませ、ソウルにバケモノが出現するという『グエムル 漢江の怪物』を発表し、韓国国内で大ヒットさせています。

ポン・ジュノ監督

 この作品の場合は、リアルな政治の世界を描き出すというわけではなく、環境をテーマに設定して、ソウルのシンボルでもある漢江にバケモノを登場させました。環境問題を、SFという軸を通してエンタメとして成立させてしまったのです。ただし、それだけではなく、映画の底流には、環境というものに対して我々はどう考えていくのか? 政府の対応は正しいのか? 個人の権利は? というテーマが潜んでいます。最初はVFXを使ったバケモノの壮絶さにたじろぐばかりですが(なにせ、理由なく人を襲いますから)、中盤からは、むしろ非常時における政治の危うさを浮かび上がらせます。いま見てもこのテーマは新鮮で、コロナ禍での日本政府の対応は正しかったのだろうかとか、われわれ自身の問題に引きつけて考えさせられます。

 その後、ポン・ジュノ監督は2013年から17年まで続いた保守派の朴槿恵政権によって、「文化芸術界のブラックリスト」に入れられていました。この政権下の国家情報院は、彼が13年にハリウッドに初めて進出して作った『スノーピアサー』について、「市場経済を否定し、抵抗運動を煽る」と大統領府に報告していたんです。この経緯が明らかになったのは、朴槿恵元大統領が弾劾、罷免され、その後の大統領選挙で左派の文在寅政権が誕生した後の17年になってからでした。

 ポン・ジュノ監督は、権力に対してしっかりと向き合っていたんですよね。彼だけではなく、時には臭い飯を食べる覚悟もある人たちが、それまでのルールを変えた。権力を恐れて作るべきものを作らない大手メディアのことなんて眼中になく、自分たちは作りたいものを作った。権力に楯突くことで生じるリスクはあります。ブラックリスト入りはもちろん、映画の製作原資を調達できなくなる可能性だってあり得ますから。困って、考えて、そこから生み出されたのが、韓国現代史にエンターテインメントという軸を通すというアイデアだったわけです。

 そしてこうしたチャレンジがどんどん生まれていった流れのなかで、配信プラットフォームが広まり、これまで社会ではタブーとされてきたテーマであっても、お客さんが見てくれるという勝算があれば製作できることが分かったのです。