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数子は男に追いつかれない程度にゆっくりと歩いて道玄坂を上っていく。『娘茶屋』の前で男が追いつくのを待つ。
「どうしたの、おねえちゃん。なぜ黙ってるんだい。どこへ行くの」
「わたしのうち、このお店なの」
男は10人中8~9人まで数子について店に入って来た。店に入ると女給5~6人が待っていて、一杯飲みながら男と「自主交渉」に移る。『娘茶屋』の隣に『筑波』という連れ込み旅館があった。
交渉が成立した女給たちはここに客を連れ込む。料金はショートタイムが2時間で1200円。このカネを細木数子と女給が折半する仕組みだった。交渉が始まるのを見届けてから細木はもう一度映画館の方に出ていく〉
中1でポン引き
中1でポン引きとは、やり手ばあさんも裸足で逃げ出すキャリアだろう。売春防止法の施行は1957(昭和32)年だった。
当時は施行前だが、売防法には売春の勧誘は6月以下の懲役または1万円以下の罰金、周旋は2年以下の懲役または5万円以下の罰金、管理売春は10年以下の懲役と30万円以下の罰金と規定されている。
たとえ施行前であっても公認の売春街以外での売春やポン引きは恥ずべき違法行為だった。
現に細木数子自身が、このポン引きでヒロポン(覚醒剤)中毒の実兄から、「何言ってるんだよ、このパン助が。てめえ、そんなことしてまでお金が欲しいのか」と一喝されたと記している。