パン助、パンパンは今や死語になったが、戦後しばらくの間、街娼や売春婦を指して使われていた。

 細木自身は現在、生家が置屋まがい(『娘茶屋』が売春婦を抱えていた)だったこと、自らポン引き行為をやったことなどは認めるが、「売春まではやっていない」と主張している。自分は兄が言うような「パン助」ではなかったというのだ。

 おそらく細木自身は売春しなかったのだろうが、ポン引きも売春と五十歩百歩、かえって悪質さは上かもしれない。どっちにしろこういう女性が50年後、公共の電波を使って「30にもなってバッカじゃないの」などと出演者をののしり、人生訓を垂れている。

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援助交際の先駆け

 もっとも細木数子ポン引き説には反論がないわけではない。

 細木が更生したのか、一般社会やメディアが売春容認に踏み切ったのか。石が浮かんで、木の葉が沈む現象と言わなければなるまい。

 細木は同書で次のことを認めている。「ショートタイム、ワンターザン」(ショート1000円)といって、アメリカ兵相手のキャッチもやったこと、1955(昭和30)年、高校生のとき、神田のキャバレー『白い手』でホステスとして働き、『娘茶屋』と掛け持ちしたこと、両店で客からもらうチップが1日1000円前後になり、毎日1000円ずつ日掛け積み立てしたこと、この金に加えて『娘茶屋』の常連だった株屋の元副社長の世話で、東京駅近くのガード下、建坪3坪ほどの小さな店を買い取った。

 買ったにもかかわらず「権利金、敷金とも37万円」というのはうなずけない話だが、うち15万円は元副社長から借りたという。