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兄夫婦殺害を殺害した夜
2日後の29日深夜、大橋は手斧にノミを用意して兄(当時42歳)と兄嫁(同41歳)ばかりか、兄夫婦の子供も「両親がいなくなって不憫」という身勝手な理由で、16歳、13歳、7歳、3歳の男児と、14歳、10歳の女児、計8人を虐殺する。
その後、「これは母の敵討ちだ、1ヶ月後に自首する」などと自己正当化する書き置きをして逃亡。和歌山県警は全国に指名手配をかけるが、1ヶ月しても大橋が出頭することはなかったばかりか、その間、長崎県内の炭鉱に偽名で働き寮長に推されるまでになっていた。
しかし、「自分の良心に反する生活が嫌になった」として、2年後の1948年3月19日に大阪市にある朝日新聞社大阪本社に自首目的で現れ、その場で逮捕された。
殺人罪で起訴された大橋に対して、和歌山地方裁判所は1948年4月27日に死刑判決を下す。同年12月6日の控訴審判決も控訴棄却されるというスピード判決を下した。
大橋本人は上告しないと表明していたが、弁護人は最高裁に上告。しかし最高裁は「被告人の意思に反した上告は不適法」として1949年8月18日に上告を退け、死刑が確定した。
しかし、処刑を待っていた1952年4月28日、大橋は突如、無期懲役に減刑される。