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東海道線の“ナゾの終着駅”「国府津」には何がある?

そもそも「国府津」って読めますか

2018/09/03

genre : ライフ, 社会, 歴史

なぜ東海道線に「国府津」行があるのか

 実はこの国府津駅、東海道線にとってはとても重要なターミナルだった歴史を持つ。今の東海道線は小田原や熱海を経て箱根山の南をトンネルで貫いて走ってゆく。だが、かつては長いトンネルを掘る技術がなかったので、国府津駅から大きく北側を迂回する形で箱根山を越えていた。つまり、乗り換え路線である御殿場線がもとは東海道線のルートだったのだ。国府津駅が開業したのは1887年で、1889年に現・御殿場線ルートで静岡方面まで開通。古くからの城下町だった小田原方面には、しばらくのあいだ小田原電気鉄道というローカル線が結んでいた。今の東海道線ルートが開通するのは1934年のことだ。つまりそれまでは静岡方面へ抜けていく御殿場ルートと小田原・熱海の観光地へ向かうルートの分岐点。乗り換えるお客さんがたくさんいたことは想像に難くない。そしてそんな乗り換え客をあてこんで、駅弁屋が登場したということだろう。

国府津から北側へ走る御殿場線。こちらがもとの東海道線だったのだ
駅からは海にもすぐ出られる

 ともあれ、かつては箱根越えを控えたターミナル、すなわち“鉄道の街”として賑わった国府津の町。駅の近くには機関車をたくさん留置する機関区も設けられた。先程の東華軒さんの「昔は賑やかだった」というのも、そんな時代を指してのことだろう。現在の東海道線ルートが開通して電化も完成したことで“鉄道の街”の雰囲気は薄れてきてしまったが、今も現役の車両基地はかつての機関区の後継施設。運輸区があるのも駅舎が立派な建物なのも、そして駅前に“東海道線初”の駅弁屋さんがあるのも、鉄道の街・国府津だった頃の名残だ。そう考えれば、東海道線に「国府津行」が設定されているのも、そんな歴史ゆえ。「車両基地があるから終点」というあたりは籠原・小金井と同じでも、背景にはこんな物語があったのである。

 と、こうして書いたら見どころがありそうな国府津駅。しかし、駅弁屋さんはともかく特に目立った何かがあるわけでもなく、他に見どころといえば海が近くにあることくらい。会社帰りに思わず寝過ごして行ってしまったら、途方に暮れるという点では他の終着駅と何も変わらない(もちろん駅弁屋さんも閉店後)。“かつての鉄道の街”国府津めぐりは、できれば休日に楽しみたいものである。

写真=鼠入昌史

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