沢田研二との“略奪婚”のウラに「数々のけじめ」
田中裕子は「おしん」の前後を挟み『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』(1982年)『カポネ大いに泣く』(1985年)で共演した沢田研二と交際に発展。当時、沢田は既婚だったため略奪愛と騒がれ、「魔性の女」とスキャンダラスに騒がれた。
しかし、その裏にあったのは数々の“けじめ”。1985年には沢田がデビュー時から在籍してきた渡辺プロダクションを、田中は所属していた文学座を辞め、1987年には沢田の離婚が成立。18億円ともいわれる全財産をすべて相手側に渡したともいわれている。
そして1989年に沢田と田中は結婚。周りの評価も批判も興味なし、と言わんばかりに、二人はナチュラルに年を取っていく。映画『大阪物語』(1999年)で夫婦役をしたのには、結婚から10年経ってはいたが、それでも世間は驚いた。役どころは池脇千鶴が演じるヒロイン・若菜の親で、夫婦漫才師だ。そしてこれが出色。「ジュリーと田中裕子」だということを忘れ、池脇演じる若菜に同情してしまうような、おもろうて疲れた芸人の二人がそこにいた。漫才の脚本を担当した構成作家の本多正識によると、二人は舞台のシーンの撮影でも、観客に本当の漫才師だと思われていたという。
「NGKでの本番収録前には、3人でのネタ合わせを済ませて舞台へ。お客さんには『映画の撮影』だけしか知らされておらず、お2人が舞台へ出られても誰も気づかず、5分あたりで田中さんがセリフを忘れられて『すいませ~ん』と止まられたところ助監督がお2人を紹介して大歓声に!」(「日刊ゲンダイDIGITAL」2022年9月22日)
老けたかった田中裕子と沢田研二
その後、2000年には「キリンラガービール」のCMでも共演。今ではすっかり共演作はなくなったものの、どちらも意欲的に活動中だ。そしてお互い「おとうちゃん」「おかあちゃん」と呼び合っているという。「婦人公論」(2005年2月7日号)のインタビュー記事には、田中裕子が「しょーもない段差」で足をひねった際、沢田がお姫様抱っこをしてタクシーまで運んでくれた、というエピソードが書かれていた。結局くるぶしを骨折していたそうだが、微笑ましくユーモラスに語る彼女からは、どこか年を取る楽しさも感じられた。
沢田研二も田中裕子も、「かっこいい」「美しい」と呼ばれることにこだわるどころか、若さの特権にうんざりし、さっさと皺と白髪を手に入れた、という風にすら見える。

