警察官は「完全にこっちの負けだ」と白旗

 元管制官は、ヘリに乗り込む前に管制官全員のベルトを回収するのを忘れなかった。

「恐怖感はマヒしていた。あんな場所にいても時折、首を伸ばして管制室内の様子を見ていましたから」

 態勢を立て直した警察は、ヘリから管制室に催涙弾を撃ち込んだ。襲撃部隊は逮捕され、約2時間に及ぶ占拠事件が終わった。逮捕された前田に、ある警察官が言った。

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「今日は、完全にこっちの負けだ」

過激派によって破壊された管制塔

 1978年3月26日、成田空港の管制塔を占拠した活動家たちが警官隊によって排除された後、管制官たちが管制室に戻った。状況を確認するためだ。午後8時ごろだった。

 真っ暗な室内には、機動隊が撃ち込んだ催涙ガスがまだ残っており、涙があふれた。懐中電灯で照らし出された機械や配線は、どれもこれも壊されていた。元管制官は「1週間ぐらい精神状態が混乱してしまった」という。

 警察官1万4000人に対し、活動家は22人。人数からすれば、管制塔占拠などできるはずがなかった。だが、主導した和多田粂夫は、事件の約1年前、空港の建設予定図を入手していた。「8畳分ぐらいに引き伸ばし、どこに機動隊が配置されるかを検討していた」と告白する。

  和多田は、機動隊が管制塔以外に分散するようにデモ隊などを配置。手薄になった心臓部に、地下から近づき、突入することを計画した。「22人を3つの部隊に分けた。1つは入り口を守り、1つは塔の中に入って守る。最後の1部隊が管制室まで行く作戦だった」と振り返る。

 占拠事件で逮捕されたのは160人余り。首謀者の和多田は航空危険罪などで懲役10年が、行動隊長の前田道彦には同9年が、また中川憲一には同6年がそれぞれ言い渡された。3人を含む中心メンバー17人は4~10年の刑期が確定。うち1人が保釈中に自殺した。

「懲役は確かに長かった。でも、まったく後悔はしていない」。3人は口をそろえた。「私たちは内ゲバでもテロでもない、健全な大衆闘争をしたかった。だから、絶対に死者やけが人が出ないように、機動隊にも必要以上に危害を加えないように厳命していた」と和多田はいう。

最初から記事を読む 《成田空港の黒歴史》「開けろ、ひきょう者!」武装部隊が管制塔に立てこもり、地上は「まるで市街戦」…前代未聞の“空港占拠事件”の舞台裏

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