4月21日、大分県の日出生台演習場で戦車の射撃訓練中に砲弾が破裂し、戦車搭乗員2名と安全係の隊員1名が死亡、操縦手1名が重傷を負った事故。すでに1週間が経過したが、いまだに事故原因は判明していない。
報道カメラマンの不肖・宮嶋は、この事故の原因とされる「120mm滑腔砲」に撃たれるという、めったにない経験をしたことがあった。(全2回の2回目/最初から読む)
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橋を渡り切ろうとしていた米軍のM1戦車
ときは自衛隊に10式戦車が正式配備される7年前、2003年4月8日のイラク戦争末期、イラクの首都バグダッド中枢部。大統領宮殿そばを流れるティグリス川に架かる共和国橋を挟んで、首都制圧のため進攻してくる米軍戦車と、それを迎撃する民兵が激しい砲撃戦を繰り広げていた。
不肖・宮嶋は1.7キロ離れたパレスティナ・ホテルの15階から、その模様を撮影していた。
米軍はこの橋を渡り切れば首都のほぼ全域を制圧できる。しかし対岸からは、RPG-7対戦車ロケット砲弾が雨あられと降りかかる。地上支援の米空軍A-10サンダーボルトが、敵地域に30mm劣化ウラン弾を稲妻のような砲声とともにばらまき、フレアを吹いて離脱していく。
その最中、橋を渡り切ろうとした米軍の2台目のM1戦車の砲身がぐるりと回り、ホテルの側に向けられた。
とても人間のものと思えない悲鳴
あわててコンクリートの壁面の角に身を隠した瞬間、爆発音とともに破片と爆風が降りかかる。その直後、廊下から、とても人間のものと思えない悲鳴が響き渡った。3部屋隣の、ロイター通信の臨時支局からであった。悲鳴を聞いても頭の中は真っ白、いったい何が起こったのかもしばらく判断できなかった。
おそるおそるのぞき込んだロイターの支局の中はまさに血の海。亡くなったのはスペイン人とウクライナ人のカメラマン2人だった。ベランダに健気に立てられたままの三脚だけが、ぽつんと取り残されていたのが記憶に残っている。
まもなく米軍は、ホテルの一室を対戦車榴弾で射撃したことを認めた。今回、事故のあったものと同じタイプの対戦車榴弾である。しかし、米軍からの謝罪はなく、射撃した戦車兵が戦争犯罪に問われることもなかった。
それが戦時下である。たとえ、イラク側が大量破壊兵器を隠し持っていなかったという、大義のない戦いであっても。
不肖・宮嶋に米軍を非難するつもりはない。我々は、ブッシュ米大統領の警告にもかかわらず、自らの意志で戦時下イラクのビザをとり、取材を続けていたのである。
自衛隊の実弾射撃演習を取材していた不肖・宮嶋は、M1戦車の120mm滑腔砲の威力と精度を知っていた。1.7キロ先の目標なんぞ、M1戦車にしたら100m先の大きな紙の標的と同じであると想像できた。その知識の有無が、生死を分けたのかもしれない。
ときは演習ではなく実戦下である。頭上から砲弾が降り注ぐ中、焦った米軍M1戦車の砲手は、高層ビル1室から覗く三脚と白い日本製の大型超望遠レンズを敵側の着弾観測と誤認し、脅威と判断、射撃したのかもしれない。


