画面の中の世界観よりも、瞬間の印象を捉える
今展には、モネの初期から晩年までの作品25点が出品されている。革命家としての顔を思いながら観ていくと、なるほどたしかに一見きれいなモネの絵画には、過激さがたっぷり含まれていることに気づく。
たとえば1883年に描かれた《ヴィレの風景》。即興性にあふれた画面には、余白が目につく。塗り残しなど、それ以前の絵画では決してあってはならぬこと。画面の中は独自の意味とストーリーが支配する別世界なのに、塗り残し部分などあっては夢が覚めてしまうではないかと。だがモネは、平然と塗り残しをした。画面の中の世界観よりも、瞬間の印象を捉えることのほうが大事だったからだ。
代表作と目される《睡蓮》の連作も過激である。睡蓮が浮かぶ水面だけをクローズアップして描いた画面からは、これがいつ・どこを描いたのかまるで伝わってこない。そもそも全体がモヤモヤしすぎて、何を描いているか判然としない。モネはそれでよしとした。自身の見たものに忠実であろうとすれば、わけのわからない画面になるのは当然と考えた。
のちのアートはみな、モネの影響下にある
そうか、具体的なものを描かなくたって絵は成立するのだ。モネの作品からは、そんな気づきも得られる。後進の画家たちはその気づきをもとに、抽象絵画というものを編み出していった。抽象表現に限らない。20世紀に入ってから展開されるシュルレアリスムやポップ・アートといった革新的な美術潮流も、ことごとくモネの絵画をもとに生み出されてきたと考えられる。影響力は絶大なのだ。
そのあたりを踏まえて今展では、モネ作品以外に、後世代の「モネ・チルドレン」による作品も併せて展示している。モネが示した革命の精神がいかに受け継がれていったのか、手に取るようにわかる展示でうれしいかぎりだ。